フランス革命期の「恐怖政治(テロール時代)」においては、政治的な理由から多くの人々がギロチンによって処刑されました。中でも最も象徴的な犠牲者の一人が、国王ルイ16世です。
国王ルイ16世の処刑
ルイ16世は国家への反逆罪(裏切り)に問われ、1793年1月21日、パリの革命広場(現在のコンコルド広場)でギロチンによって処刑されました。この出来事は、フランスにおける王政の終焉を世界に示す歴史的な転換点となりました。
その他の著名な犠牲者たち
ルイ16世のほかにも、フランス貴族の名士や王政にゆかりのある政治家たちが、同じような運命をたどりました。
- マリー・アントワネット … 王妃として1793年10月16日に処刑されました。
- ジロンド派の指導者たち … 穏健な共和派として知られたジロンド派は、ジャコバン派との権力闘争に敗れ、1793年に幹部の多くが断頭台に送られました。
- オランプ・ド・グージュ … 女性の権利を訴えた作家・活動家であり、急進派への批判が原因で処刑されました。
恐怖政治とはどんな時代だったのか
恐怖政治は、1793年から1794年にかけて、ロベスピエールらが主導する公安委員会のもとで展開された強権的な統治の時期です。「革命の敵」とみなされた者に対する摘発が相次ぎ、正式な裁判で処刑された者だけでも約1万7千人に上るとされ、獄中死などを含めれば犠牲者はさらに多かったと考えられています。こうした過激な弾圧は、やがてロベスピエール自身が失脚し処刑される「テルミドールのクーデター」へとつながっていきました。