歴史物語

ハリエット・タブマンが「地下鉄道」で最初に助けた人は誰?

「地下鉄道」とは何だったのか

「地下鉄道(Underground Railroad)」は、19世紀のアメリカにおいて、奴隷制から逃れようとする人々を自由州やカナダへと導くために使われた、秘密の逃亡ルートと安全な隠れ家のネットワークです。単一の組織が運営していたわけではなく、奴隷制度廃止論者、自由黒人、教会などが協力しながら作り上げたものでした。

元奴隷でありながら、この地下鉄道で最も有名な「案内人(コンダクター)」となったのがハリエット・タブマンです。彼女は自ら奴隷制から脱出した後、何度も命がけで南部へ戻り、直接導いたのは約70人、関係した逃亡全体では約300人にのぼるとされています。

タブマンが最初に救い出した「乗客」

記録によれば、ハリエット・タブマンが初めて単独で行った救出作戦は1850年のことでした。彼女が最初に助けたのは、姪にあたるケシア・ジョリー・ボウリーとその2人の子供たちです。ケシアが競売にかけられ売却されそうになったことを知ったタブマンは、ボルチモアへ急行し、母子3人を密かに連れ出してフィラデルフィアへ逃がしました。この母子こそが、彼女が導いた「最初の乗客」と広く考えられています。

地下鉄道を利用した有名な逃亡者たち

ウィリアム&エレン・クラフト夫妻

1848年、ジョージア州から逃亡した夫婦です。肌の色が明るかった妻エレンは裕福な白人の農園主に変装し、夫ウィリアムはその「所有する奴隷」という設定で、列車と蒸気船を乗り継いでフィラデルフィアまでたどり着きました。この大胆な変装逃亡は当時大きな話題となり、二人は廃止論者たちの支援を受けて、のちにカナダ、さらにイギリスへと渡りました。

ヘンリー・“ボックス”・ブラウン

1849年、バージニア州リッチモンドの奴隷だったブラウンは、自分自身を木箱に詰めて郵便で送るという前代未聞の方法で逃亡しました。27時間以上に及ぶ過酷な輸送の末、フィラデルフィアの廃止論者たちのもとへ届き、「ボックス(箱)」という愛称で広く知られるようになりました。彼もまた、その後カナダへと向かっています。

ネルソン・デイヴィス

メリーランド州から逃れた元奴隷のネルソン・デイヴィスは、南北戦争で北軍の兵士として従軍した後、1869年にハリエット・タブマンと結婚しました。彼自身も、自由を求めて命がけの逃亡を遂げた一人でした。

希望の灯となった地下鉄道

地下鉄道での旅は極めて危険で、捕まれば鞭打ちや再びの奴隷生活、時には死さえも待ち受けていました。それでも多くの人々が、自由への夢を胸に旅立ちました。ハリエット・タブマンをはじめとする案内人たちと逃亡者たちの勇気ある物語は、今日でも自由と人権を求める闘いの象徴として語り継がれています。