歴史物語

ナンシー・ウェイクはなぜ第二次世界大戦で有名になったのか?「白いネズミ」の伝説

ナンシー・ウェイク(Nancy Wake、1912年〜2011年)は、第二次世界大戦中に最も著名な女性スパイ・レジスタンス闘士の一人として知られる人物です。ニュージーランド生まれ、オーストラリア育ちの彼女は、フランス・レジスタンスの伝令として活動した後、イギリス特殊作戦執行部(SOE)の工作員となり、ナチス・ドイツ占領下のフランスで数々の伝説的な活躍を遂げました。ゲシュタポ(ナチス秘密警察)からは「白いネズミ」というあだ名をつけられ、500万フランという当時としては破格の賞金を懸けられたほどでした。

ジャーナリストとしてナチスの脅威を目撃

ウェイクは1912年にニュージーランドのウェリントンで生まれ、幼少期に家族とともにオーストラリアのシドニーへ移住しました。20歳頃にヨーロッパへ渡り、パリを拠点にアメリカのハースト新聞社でジャーナリストとして働き始めます。1933年にウィーンを訪れた際、ナチスによるユダヤ人への暴虐を目の当たりにしたことが、彼女の反ナチス思想を決定づける転機となりました。

フランス・レジスタンスでの活動

1939年、彼女はフランス人実業家アンリ・フィオカと結婚し、マルセイユで豊かな生活を送っていましたが、1940年のフランス降伏後、占領軍への抵抗運動に身を投じます。連合軍のパイロットや捕虜がドイツ占領地域から中立国へ脱出するのを助ける「パット・オライリー脱出網」と呼ばれる組織の伝令役として活動し、多くの人命救助に貢献しました。

SOE工作員としての訓練と帰還

1943年、自身もゲシュタポに追われるようになったウェイクは、スペイン経由でイギリスへ脱出。そこで特殊作戦執行部(SOE)に入り、過酷な諜報員訓練を受けました。1944年4月、彼女はパラシュートで占領下のフランスへ再び降り立ちます。これはノルマンディー上陸作戦(Dデイ)直前の時期であり、現地のマキ(レジスタンス武装組織)と連絡を取り、武器や物資の空輸を手配することが任務でした。

「白いネズミ」の伝説的エピソード

ウェイクは約7,000人のマキ戦士の指揮・調整に関わり、ドイツ軍の補給線や施設への襲撃を主導しました。ある夜、無線機と暗号表が襲撃で失われた際、彼女は自転車で約500kmを走破して新しい暗号表を入手し、部隊との通信を回復させた逸話は特に有名です。また、ドイツ軍の襲撃から仲間を守るため、見張りの兵士を素手で倒したとも語られています。

逃げ足の速さと執拗な追跡をかわす能力から、ゲシュタポは彼女を「白いネズミ(ラ・スーリ・ブランシュ)」と呼びました。夫アンリは彼女の居場所を明かさずに拷問され、殺害されましたが、ウェイクは終戦までその事実を知りませんでした。

戦後の栄誉と晩年

戦後、ウェイクはイギリス空軍省の情報部門で勤務しました。ジョージ・メダル(イギリス)、大統領自由勲章(アメリカ)、レジスタンス勲章、クロワ・ド・ゲール(複数回)、レジオン・ドヌール勲章(フランス)など、彼女は連合国側で最も多くの勲章を授与された女性兵士の一人となりました。晩年はイギリスで暮らし、2011年に98歳でこの世を去りました。その遺志により、2013年に遺灰はフランスのヴェルジニョ村近郊に散骨されています。

まとめ

ナンシー・ウェイクは、ジャーナリストとして目撃したナチスの残虐行為への怒りを行動に変え、レジスタンスの伝令からSOEの精鋭工作員へと成長した人物です。数千人のレジスタンス戦士を率いて連合軍の勝利に貢献し、「白いネズミ」の名でナチスに恐れられた彼女の物語は、今日でも勇気と決意の象徴として語り継がれています。