歴史物語

アーミスター虐殺とは?正しくは「アムリットサル虐殺」――歴史的事件の概要と背景を解説

「アーミスター虐殺(Armistar Massacre)」という名称は、歴史上の出来事として一般的に知られていません。歴史資料や信頼できる報道源を調べても、この綴りのままでは該当する事件が確認できません。


ただし、この呼び名は「アムリットサル虐殺(Amritsar Massacre)」の誤記である可能性が非常に高いです。アムリットサル虐殺は、インド近代史における最も重要な事件の一つとして広く知られています。以下、その概要を解説します。


アムリットサル虐殺(ジャリワーン・バーグ事件)とは

アムリットサル虐殺は、1919年4月13日に、イギリス領インド帝国のパンジャーブ地方アムリットサル市で発生した事件です。この日、多くの市民が「ジャリワーン・バーグ」と呼ばれる広場に集まっていました。集会には新年の祭り「バイサーキー」で訪れた人々や、平和的な抗議活動に参加する人々が含まれ、女性や子どもも大勢いました。


レジナルド・ダイアー准将率いるイギリス領インド軍の部隊は、武装していない群衆に対して発砲を命じました。公式な記録では死者379人、負傷者約1,200人とされていますが、インド側の調査では死者は1,000人以上に上ったと推計されています。


事件の背景

当時のイギリス植民地政府は、第一次世界大戦中に制定された「ローラット法」により、容疑者の逮捕や拘束を裁判なしに行える権限を持っていました。この抑圧的な法律への反発から、インド各地で抗議運動が活発化し、パンジャーブ地方では戒厳令が敷かれていました。こうした緊張状態の中で起きたのが本事件です。


事件が与えた影響

この虐殺はインド独立運動の大きな転換点となりました。主な影響は以下の通りです。


  • 詩人ラビンドラナート・タゴールが、抗議の意を込めてイギリスから授けられたナイト爵位を返上しました。
  • マハトマ・ガンディーは、イギリスとの協力路線を転換し、「非協力運動」を本格的に展開するきっかけとなりました。
  • イギリス国内でも世論が分かれ、植民地支配への批判が高まりました。

現在のジャリワーン・バーグ

事件現場となったジャリワーン・バーグは現在、国立記念公園として整備されており、犠牲者を追悼する記念碑が建てられています。毎年4月13日には多くの人々が訪れ、インドの歴史における重要な記憶の場となっています。


まとめ

「アーミスター虐殺」という表現そのものは歴史上の用語として存在しませんが、これは1919年のアムリットサル虐殺を指す際の誤記であると考えられます。イギリス植民地支配下での悲劇であり、インド独立運動の流れを大きく変えた事件として、今日も語り継がれています。