歴史物語

ジャンヌ・ダルクの最期はどのようなものだったのか?捕虜から火刑までの晩年を解説

フランスの救国の英雄として名高いジャンヌ・ダルク。しかし、その人生の結末は悲劇的なものでした。ここでは、彼女が捕らえられてから処刑に至るまでの最期の足跡をたどります。

ブルゴーニュ派による捕縛

1430年、ジャンヌ・ダルクはブルゴーニュ派(ブルゴーニュ公国)の軍勢によって捕らえられました。当時、ブルゴーニュはイングランドと同盟を組み、フランス王国と対立していました。そのため、彼女はまもなくイングランド側へ引き渡されることになったのです。

イングランド側の思惑と裁判

イングランドにとって、「神の声を聞いた」と主張してフランス軍を率いるジャンヌ・ダルクの存在は、自国の大義を脅かす大きな障害でした。そこでイングランドは、裁判の形式を利用しながら、彼女の持つ神聖な権威の正当性を崩そうと様々な手段を講じました。

裁判の場でも、ジャンヌ・ダルクは「自分が答えるべきは神のみ」という信念を貫きました。しかしこの揺るがない姿勢こそが決定的な罪状とみなされ、彼女はついに異端の罪で有罪判決を受けてしまうのです。

19歳での最期

1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクは火刑に処されました。その享年、わずか19歳でした。農村の少女からフランスの英雄へと駆け上がり、歴史を動かした彼女の短くも激しい生涯は、こうして幕を閉じたのです。

死後の名誉回復

なお、ジャンヌ・ダルクの死後、フランスが百年戦争を優位に進める中、1456年には再審が開かれ、彼女の無罪と名誉が正式に回復されました。さらに1920年にはカトリック教会によって列聖され、今日では「聖ジャンヌ・ダルク」として世界中の人々に敬われています。