歴史物語

ロバート・E・リーの愛馬トラベラーは死後、剥製にされたのか?

結論から言えば、南軍総司令官ロバート・E・リー将軍の愛馬として名高いトラベラー(Traveller)は、死後にいわゆる「剥製」にはされていません。ただし、その遺体がたどった道のりには、やや複雑な経緯があります。

1871年、トラベラーの死

トラベラーは1871年6月、錆びた釘を踏んだことがきっかけで破傷風を発症し、命を落としました。これはリー将軍が世を去った翌年のことでした。当初、彼は大学の構内に埋葬されましたが、記念品を求める人々が墓を掘り起こす恐れがあると懸念されました。

骨格標本としての歳月

そこで遺体は一度掘り返され、骨のみが丁寧に清められました。皮毛を用いる伝統的な意味での「剥製」ではありませんが、組み立てられた骨格はワシントン・アンド・リー大学(当時はワシントン・カレッジ)で展示され、長年にわたり多くの見学者を迎えました。

1971年、ついに永眠へ

そして死去からちょうど100年後の1971年、トラベラーの遺骨は同大学リー・チャペルの近くに改めて埋葬されました。こうして名馬は、かつての主に近い場所でようやく安らかに眠ることとなったのです。

まとめ

トラベラーは剥製にはされませんでしたが、その骨格は約100年間展示されたのち、1971年に再埋葬されています。「1871年にそのまま埋葬された」と単純に捉えるのではなく、この一連の経緯を踏まえることで、歴史の実像がより鮮明に見えてきます。