ヴィクトリアーノ・ウエルタ(Victoriano Huerta)は、実はメキシコでは英雄として扱われていません。むしろ彼は、同国の歴史において最も憎まれた人物の一人であり、「裏切り者」「独裁者」として強く否定される存在です。ここでは、なぜそう評価されるのかを詳しく見ていきます。
ウエルタとはどんな人物か
ヴィクトリアーノ・ウエルタ(1850年〜1916年)はハリスコ州出身の軍人で、ポルフィリオ・ディアス政権下で軍の要職を歴任しました。1913年2月から1914年7月までの約1年半、メキシコ大統領の座に就いています。
「悲劇の十日間」とクーデター
ウエルタの名が歴史に残る最大の理由は、1913年2月に起きたクーデターです。この事件は「悲劇の十日間(La Decena Trágica)」と呼ばれ、首都メキシコシティで激しい市街戦が繰り広げられました。
ウエルタは当初、フランシスコ・I・マデロ政権側の軍司令官として反乱鎮圧を指揮していましたが、密かに反乱側と通じていました。そして混乱のさなかにマデロ大統領と副大統領ホセ・マリア・ピノ・スアレスを逮捕・退陣させ、その直後に両者を暗殺したのです。この裏切りこそが、彼が「裏切り者」と呼ばれる決定的な原因となりました。
独裁政権への批判
権力を握ったウエルタは議会を解散させ、報道統制や政治家・ジャーナリストへの弾圧といった強権的な統治を行いました。また、当時のアメリカ大使ヘンリー・レイン・ウィルソンとの関係が深かったことも知られており、「外国勢力の後押しによる政権奪取」という構図が国民の反感をさらに強めました。
政権の崩壊と亡命
ウエルタ政権に対しては、ベヌスティアーノ・カランサ率いる立憲主義者が蜂起し、パンチョ・ビヤやエミリアーノ・サパタら革命勢力もこれに加わりました。さらにウッドロウ・ウィルソン政権下のアメリカ合衆国も武器禁輸やベラクルス港の占領によって圧力をかけた結果、ウエルタは1914年7月に辞職し、国外へ逃れました。
今日における評価
メキシコ革命の中心人物だったマデロを裏切って死に追いやった経緯から、ウエルタには「エル・チャカル(El Chacal=ジャッカル)」という不名誉なあだ名も付けられています。現在のメキシコで彼が肯定的に語られることはほとんどなく、教科書や公式の歴史認識においても独裁者として位置づけられています。
つまり「なぜウエルタは英雄なのか?」という問いへの答えは、「そもそも英雄ではないから」ということになります。彼は革命の理想を打ち砕いた人物として、メキシコ史上最悪の裏切り者の一人として記憶されているのです。