19世紀後半、アメリカの農民たちは深刻な経済的苦境に直面していました。豊作でありながら収入が伸びないという矛盾した状況に陥った背景には、複数の構造的な要因がありました。
農民の窮状を引き起こした主な原因
1. 過剰生産
農業技術の向上により、農家はかつてないほど多くの食料を生産できるようになりました。しかし、その結果として作物が余剰となり、市場での価格下落を招きました。
2. 農産物価格の急落
小麦やトウモロコシなどの主要農産物の価格は、19世紀後半に大幅に下落しました。これは、海外からの競争激化、鉄道や蒸気船による輸送手段の発達、消費者の嗜好の変化など、複数の要因が重なった結果です。
3. 高い輸送コスト
農家の多くは大都市の市場から離れた場所で営農しており、鉄道会社が高い輸送料を請求したため、利益の大きな部分が輸送費によって奪われていました。
4. 高金利と信用へのアクセス不足
農家は種子や機械の購入のために借金に頼らざるを得ないことが多く、当時の高金利が経営を圧迫しました。さらに、十分な担保を持たない農家は融資自体を受けられず、土地や機械といった必要な資源の入手すら困難でした。
グレンジ(The Grange)が提唱した解決策
こうした状況を受けて、1867年に設立された全国規模の農民組織「グレンジ」(正式名称:農業保護促進国民同胞会)は、農民の問題を解決するためにいくつかの対策を提唱しました。
1. 協同組合の設立
協同組合を通じて農家が資源を持ち寄り、物資や農機具を一括購入することで、コスト削減を実現しました。
2. 販売組織(マーケティング委員会)の創設
買い手との交渉を組織的に行うことで、農作物に対して公正な価格を獲得しようとしました。
3. 農民保護立法の推進
グレンジは政治的なロビー活動にも力を入れました。その成果の一つが、鉄道運賃を規制する1887年の州際通商法(Interstate Commerce Act)です。また、独占を禁止する1890年のシャーマン反トラスト法(Sherman Antitrust Act)の成立にも貢献しました。
教育・研究への取り組みとその影響
さらにグレンジは、農家がより優れた営農技術を身につけられるよう、教育や研究の振興も積極的に支援しました。これらの多岐にわたる取り組みは、19世紀後半における農民の経済状況の改善に大きく寄与し、後の農民運動やポピュリズム運動の基盤ともなりました。