16世紀のスペインによる新大陸征服において、最も重要な役割を果たしたのがエルナン・コルテスとフランシスコ・ピサロという二人のコンキスタドール(征服者)です。コルテスはメキシコのアステカ帝国を滅ぼし、ピサロは南米ペルーのインカ帝国を征服しました。それぞれの生涯と功績を詳しく見ていきましょう。
エルナン・コルテス:アステカ帝国を滅ぼした男
エルナン・コルテスは、16世紀初頭に遠征隊を率いてアステカ帝国を滅亡させ、現在のメキシコ本土の大部分をカスティーリャ王の支配下に置いたスペインのコンキスタドールです。1485年頃、カスティーリャ王国の都市メデジンに生まれました。
1518年にはベラスケス率いる遠征隊とともにアメリカ大陸へ渡り、まもなくスペイン人たちの間で指導者的存在として頭角を現します。翌1519年には命令に背いて独自の遠征隊を組織し、メキシコ内陸部へ進軍。アステカに従属していた先住民族と同盟を結ぶなど、優れた外交手腕を発揮しました。
2年間に及ぶ戦闘の末、コルテスとその同盟軍はアステカ軍を打ち破り、1521年8月13日に首都テノチティトランを陥落させることに成功します。征服後、彼はヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)総督に任命され、メキシコにおけるスペイン統治の基盤を築きました。1528年にスペインへ帰還するとオアハカ渓谷侯爵に叙せられ、1547年にスペインで生涯を終えました。
フランシスコ・ピサロ:インカ帝国を征服した男
フランシスコ・ピサロは、16世紀に遠征隊を率いてインカ帝国を征服し、ペルーにスペインの支配を確立したスペインのコンキスタドールです。1476年頃、スペインのトルヒーヨに生まれました。
1502年にアメリカ大陸へ渡ったピサロは、新大陸への数々の遠征に参加して経験を積みました。1524年には初めてペルー遠征を試みるものの、インカ側の激しい抵抗に阻まれ、パナマへの撤退を余儀なくされます。
1531年、ピサロはより大規模な兵力を率いてペルーへ再び上陸し、ついにインカ軍を打ち破ります。さらにインカ皇帝アタワルパを捕らえて身代金を要求し、皇帝はその後スペイン人によって処刑されました。1535年にはペルーの拠点となるリマ市を建設し、初代ペルー総督の座に就きます。しかし1541年、かつての同志であり後にライバルとなったディエゴ・デ・アルマグロの支持者たちにより、リマで暗殺されるという非業の最期を迎えました。
二人の共通点と対照的な最期
コルテスとピサロは、ともに少数の兵力しか持たなかったにもかかわらず、先住民同士の対立や帝国内部の混乱を巧みに利用することで巨大な帝国を征服した点で共通しています。しかし両者の結末は大きく異なりました。コルテスは富と爵位を手に入れて天寿を全うしたのに対し、ピサロは部下たちとの権力争いの中で命を落としたのです。彼らの征服活動は、中南米の歴史を根本から変えることとなりました。