偉大な航海者の影に潜む家族の悲劇
三度にわたる太平洋探検で世界地図を塗り替えた英国の伝説的航海者、ジェームズ・クック船長。その輝かしい功績の裏で、彼の家庭生活は相次ぐ死別という深い悲しみに包まれていました。
1762年に妻エリザベス・バッツと結婚したクック夫妻の間には6人の子供が生まれましたが、驚くべきことに、その全員が父母に先立って世を去り、クック家の直系の子孫は途絶えることになりました。ここでは、それぞれの子供たちの短い生涯を振り返ります。
乳幼児期に亡くなった子供たち
エリザベス・クック(1767年〜1771年)
夫妻にとって最初の娘であるエリザベスは、1767年に誕生しました。しかし健康に恵まれず、1771年4月にわずか4歳でこの世を去りました。ちょうど父クックが第一次太平洋航海からの帰還を目前に控えた時期であり、一家にとって大きな打撃となりました。
ジョセフ・クック(1768年)
1768年8月に誕生したジョセフは、生後わずか数週間で亡くなりました。当時の医療水準では新生児の死亡率が極めて高く、どんな家庭でも突然の別れに見舞われる危険がありました。クック家もその悲劇を免れることはできなかったのです。
ジョージ・クック(1772年)
1772年7月に生まれたジョージもまた、同年10月に生後およそ3か月で夭折しました。母エリザベスは短期間のうちに二人の赤ちゃんを失うことになりました。
少年・青年期に命を落とした子供たち
ネイサニエル・クック(1764年〜1781年)
父に憧れて海の道を選んだ次男ネイサニエルは、海軍士官としてフリゲート艦「サンダラー」号に乗り組みました。しかし1781年、西インド諸島海域で艦隊が激しいハリケーンに襲われ、同艦は乗員全員とともに行方不明となりました。ネイサニエルはわずか16歳で海に散ったのです。
ヒュー・クック(1776年〜1793年)
末子ヒューは聡明な青年へと育ち、ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジに進学するほどの才覚を見せていました。しかし在学中の1793年12月、猩紅熱にかかり、17歳の若さで亡くなってしまいました。
長男ジェームズ・クック(1763年〜1794年)
兄弟の中で最も長く生きた長男ジェームズも、1794年1月、30歳の時にポール近郊での水難により命を落としたと伝えられています。こうして、クック夫妻の6人の子供はすべて親に先立つという、あまりにも苛烈な運命を辿ることになりました。
喪失を胸に、探検の道を歩み続けて
子供たちとの死別は、クック夫妻にとって計り知れない痛みでした。それでもクックは個人的な悲しみを抱えながらも使命を貫き、ニュージーランドやオーストラリア東海岸の精緻な地図作成など、歴史に残る偉業を成し遂げました。
クック自身は1779年にハワイでこの世を去りましたが、妻エリザベスはその後も長く生き続け、1835年に93歳で亡くなるまで、夫と子供たちの思い出を大切に守り抜いたといわれています。華々しい探検の物語の陰に、こうした静かな悲劇があったことを忘れてはならないでしょう。