イギリス海軍中将ウィリアム・ブライ(William Bligh、1754年~1817年)は、1817年12月7日、イングランド・ロンドンにて63歳でこの世を去りました。死因は脳卒中でした。
死因は脳卒中だった
ブライは晩年、ロンドン郊外のランベスで比較的穏やかな余生を送っていましたが、1817年12月に脳卒中(中风)に襲われました。当時63歳だったブライは回復することなく、12月7日に息を引き取りました。
「バウンティ号の反乱」で名を馳せた艦長
ブライといえば、1789年に南太平洋で起きた有名なバウンティ号の反乱における艦長として広く知られています。乗組員のフレッチャー・クリスチャンらによる反乱後、ブライは忠実な部下たちとともに小さな open boat で約6,500キロメートルもの海上を漂流しながらも、驚異的な航海術によって生還を果たしました。この出来事により、彼はイギリス海軍史上最も伝説的な人物の一人となったのです。
晩年の経歴
バウンティ号事件の後もブライの海軍キャリアは順調に続きました。ナポレオン戦争期にはコペンハーゲンの海戦などに参加し、また1806年にはオーストラリアのニューサウスウェールズ総督に就任します。ただし在任中の1808年、軍隊によるクーデター(いわゆるラム反乱)で一時権力を奪われるという波乱の経験もしています。帰国後は海軍中将まで昇進し、第一級の名誉をもって軍務を終えました。
最期と眠る場所
1817年12月7日の死去後、ブライはロンドン・ランベスのセント・メリー教会(現在のガーデン博物館)に埋葬されました。先立たれた愛妻エリザベスと並んで眠る彼の墓は、今も多くの歴史爱好者が訪れる場所となっています。