キャリー・ネーション(Carrie Nation、1846年11月5日~1911年6月9日)は、アメリカ合衆国における酒類の製造・販売の禁止(禁酒)を掲げる禁酒運動を率いたことで知られる女性活動家です。敬虔なクリスチャンとして、アルコールこそが貧困、犯罪、家庭内暴力といった多くの社会問題の根源であると確信していました。1880年代後半から1890年代にかけて、手斧を持って酒場に押し入り、酒類関連の品々を破壊する「ハチェテーション(hatchetation)」という手法によって、全米にその名を轟かせることとなります。
キャリー・ネーションの主な活動
1. 幼少期
キャリー・ネーションは1846年にケンタッキー州ギャラード郡で生まれました。幼いうちに父親を亡くし、経済的な苦難を経験するなど、厳しい子供時代を過ごしました。こうした体験が、後に活動家としての道を歩む原動力となったとされています。
2. 宗教的覚醒
30代前半に個人的な宗教的回心を経験し、敬虔なクリスチャンへと生まれ変わり、同時に禁酒運動の支持者へと転身しました。彼女は飲酒を罪深い行為であり、社会全体に害をもたらすものと固く信じていました。
3. 禁酒運動への参画
ネーションは飲酒の害悪に対して公然と声を上げ始め、さまざまな禁酒団体と協力しながら活動を展開しました。情熱的に酒の弊害を糾弾する激しい演説で名声を得るようになります。
4. ハチェテーション――斧による破壊活動
彼女の最も有名な戦術が「ハチェテーション」です。手斧を携えて酒場に押し入り、酒瓶やグラス、家具などを斧で次々と破壊しました。この反抗的かつ破壊的な行為は彼女のトレードマークとなり、メディアから大きな注目を集めました。
5. 逮捕と投獄
こうした活動の結果、ネーションはたびたび逮捕され、投獄されることもありました。権威に屈せず、警察当局と正面から対峙し、大胆な公的声明を発することでも知られていました。数多くの挫折を経験しながらも、アルコールへの反対姿勢を最後まで貫きました。
6. 禁酒法成立への影響
ネーションが禁酒運動に与えた影響、そして飲酒の有害性について世間の意識を高めた役割は、非常に大きいと評価されています。彼女の訴えは禁酒運動の勢いを加速させ、最終的には1919年のアメリカ合衆国憲法修正第18条(禁酒法)の批准へとつながりました。
まとめ
キャリー・ネーションの行動は、生前から広く議論の対象となり、批判を受けることも少なくありませんでした。しかしその一方で、自らの信念に対する揺るぎない決意と献身によって、アメリカ禁酒運動の歴史において、物議を醸しながらも象徴的な存在として名を刻んだのです。