アフリカの歴史

なぜイギリスは1820年にスーダンを植民地にしたのか?——実は「エジプト」の侵攻だった

まず前提として整理しておきたいのは、1820年にスーダンを植民地化したのはイギリスではないという点です。この年、スーダンに軍を進めたのは、オスマン帝国の属州エジプトを支配するムハンマド・アリーでした。

ムハンマド・アリーによるスーダン侵攻(1820〜1821年)

1805年にエジプトの総督(ワーリー)となったムハンマド・アリーは、国の近代化と軍事力強化を推し進める中で、南への拡張を目指しました。1820年、彼は三男イスマイル率いる遠征軍をスーダンへ派遣し、センナールのフンジ王国やコルドファンなどを次々と征服していきます。こうしてスーダンはエジプトの支配下に入り、「トルコ・エジプト統治(トルキーヤ)」と呼ばれる時代が幕を開けました。

侵攻の主な目的

  • 資源の獲得——伝説的な金産出地帯の確保
  • 兵員の調達——新式軍隊を支える奴隷兵の供給源の確保
  • ナイル川源流への関心——上流地域への影響力の拡大
  • 交易路の掌握——紅海と内陸部を結ぶ商路の支配

イギリスが本格的に関与するのはその後

イギリスがスーダンの支配に深く関わるようになるのは、19世紀も終わりに近づいてからのことです。1881年に始まったマフディー運動によってエジプト勢力が駆逐され、マフディー国家が成立すると、イギリスはエジプトとともに再征服を進めました。1898年のオムダーマン会戦でマフディー軍を破り、1899年からは「英埃領スーダン」と呼ばれるイギリス・エジプト共同統治(コンドミニアム)が始まります。

つまり、1820年のスーダン侵攻はエジプト(ムハンマド・アリー政権)によるものであり、イギリスによる植民地支配とは、時期も主体もまったく異なる出来事なのです。