アフリカの歴史

ジュリアス・シーザーはアウグストゥスより前にローマの指導者になったのか?

ジュリアス・シーザーとアウグストゥス、どちらが先に指導者となったのか?

ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)は、紀元前100年から紀元前44年にかけて生きた、ローマ史上屈指の名将であり政治家です。ローマ共和政の末期に大きな影響力を持ち、ガリア征服などの軍事的功績、数々の政治改革、そして最期には暗殺されたという劇的な最期によって、今日でも広く知られています。

しかし、「皇帝としてのローマの指導者」という観点で見ると、シーザーはアウグストゥスより先にその地位に就いたわけではありません。

シーザー暗殺後、ローマは内乱へ

紀元前44年にジュリアス・シーザーが暗殺されると、ローマ共和政は一連の内戦に突入しました。この激しい権力闘争には、マルクス・アントニウスやオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)など、複数の勢力が関わっていました。

幾多の戦いと巧みな政治工作を重ねた末、最終的に勝利を収めたのはオクタウィアヌスでした。

紀元前27年、初代皇帝アウグストゥス誕生

紀元前27年、ローマ元老院はオクタウィアヌスに「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を授与しました。これがローマ帝国の始まりとされています。アウグストゥスは初代ローマ皇帝となり、西暦14年に死去するまで長きにわたりローマを統治しました。

つまり、アウグストゥスがローマの指導者となったのは、内戦と共和政ローマの崩壊の後であり、ジュリアス・シーザーより前ではなかったのです。なお、シーザー自身も終身独裁官として絶大な権力を握っていましたが、正式な「皇帝」として即位したことはありませんでした。