アフリカの歴史

3月15日、ユリウス・カエサルはなぜ暗殺されたのか?——その場所と真相を解説

よくある誤解ですが、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は元老院の議事堂そのものの中で殺害されたわけではありません。紀元前44年3月15日、カエサルはローマのポンペイウス劇場の敷地内にあった臨時元老院議事堂(クリア・ポンペイア)で、マルクス・ユニウス・ブルートゥス(ブルータス)とガイウス・カッシウス・ロンギヌス(カッシウス)らが率いる元老院議員たちの一団によって刺殺されました。

なぜ3月15日だったのか

3月15日はローマ暦における「イドゥース(各月の中間日)」にあたる重要な日付です。当時、カエサルは同年3月18日にパルティア遠征へ出発する予定でした。陰謀者たちは、彼が遠征に出発すれば権威がさらに高まり、暗殺の好機を逃すと判断し、この日を決行日に選んだとされています。

暗殺の背景と動機

陰謀に加わった議員は約60人にのぼると伝えられます。彼らは「終身独裁官」として絶大な権力を握るカエサルが、共和政ローマの伝統的な政治体制を脅かしていると強く危惧していました。カエサルは会議の場で23か所を刺されて落命したといわれています。シェイクスピアの戯曲で有名になった「ブルータスよ、お前もか(Et tu, Brute?)」という言葉は後世の創作ですが、我が子のように可愛がっていたブルータスの参加にショックを受けたことは、多くの歴史家が認めるところです。

暗殺がもたらした歴史的影响

皮肉なことに、共和政の復活を目指した暗殺者たちの願いは裏切られました。カエサルの死は新たな内乱の火種となり、最終的には養子のオクタウィアヌス(初代皇帝アウグストゥス)が権力を掌握。ローマは帝政へと移行していくことになります。「3月15日の暗殺」は、共和政ローマの終焉と帝政ローマの幕開けを象徴する転換点として、今日でも語り継がれているのです。