アジアの歴史

ペルシア帝国の興亡|紀元前559年から紀元前146年までの歴史年表

古代オリエントを席巻したペルシア帝国(アケメネス朝)は、キュロス2世によって建国され、ダレイオス1世の時代に世界史上類を見ない大帝国へと発展しました。本記事では、ペルシア帝国の勃興から滅亡、そしてローマによる中東征服まで、紀元前559年から紀元前146年に至る主要な出来事を年表形式でわかりやすく解説します。

ペルシア帝国の興亡|紀元前559年から紀元前146年までの歴史年表

紀元前559年〜紀元前530年:キュロス2世の治世

ペルシア帝国の建国

キュロス2世(キュロス大王)は、紀元前550年にメディア王国を打ち破り、その領土を併合して広大なペルシア帝国を築き上げました。当時のペルシア人たちは、預言者ザラトゥストラ(ゾロアスター)の教えに従っていました。彼は「神はただ一つのみ存在する」と説いた人物として知られています。

紀元前539年:バビロン侵攻

ペルシア軍がバビロンを占領

ペルシア軍がバビロンに侵攻し、かつて栄華を誇ったバビロニア帝国はここに滅亡しました。こうしてバビロンは強大なペルシア帝国の版図へと組み込まれていきます。

紀元前536年:ヘブライ人の帰還

エルサレムへの帰還と第二神殿の建設

バビロンで捕囚となっていたヘブライ人(ユダヤ人)たちが、エルサレムへの帰還を果たします。彼らはネブカドネザル2世によって破壊された第一神殿に代わる第二神殿の建設に着手し、紀元前515年に完成させました。

紀元前525年:エジプト侵攻

カンビュセス2世によるエジプト征服

カンビュセス2世の指揮のもと、ペルシア軍はエジプトを征服し、ペルシウムの戦いでファラオのプサメティコス3世を捕虜としました。カンビュセス2世はファラオの称号を正式に名乗りますが、統治は故郷のスーサから行い、エジプト自体はサトラップ(ペルシア帝国の行政区画の長)による管理下に置かれました。ペルシアに対する反乱が成功することもありましたが、エジプト人が彼らの支配を恒久的に打倒することはできませんでした。

紀元前522年〜紀元前486年:ダレイオス1世の治世

世界最大の帝国へ

ダレイオス1世の治世において、ペルシア帝国は当時の世界で最も大きな帝国へと成長しました。征服された諸民族は王に貢税を納め、王は驚異的な富を蓄えていきます。一方で、貢納さえ行えば宗教や生活様式を守ることが許されるという、寛容な統治政策も特徴でした。その豊かな財力をもとに、ダレイオス1世はペルセポリスに壮麗な宮殿を建設。さらに、伝令が迅速に移動できるよう帝国内に道路網を整備し、有名な「王の道」は全長約2,700kmに及びました。

紀元前490年〜紀元前479年:ギリシャへの攻撃

ペルシア戦争の始まり

ここにペルシア戦争が勃発します。しかし、ギリシャ側は粘り強く抵抗し、激戦の末、マラトンの戦いでペルシア軍を打ち破りました。

ペルシア帝国の興亡|紀元前559年から紀元前146年までの歴史年表

紀元前486年〜紀元前465年:クセルクセス1世の治世

ペルシアでは、新たにクセルクセス1世が王位に就きました。

紀元前404年頃〜紀元前398年頃:ペルシア勢力の一時的排除

エジプトからの追放

エジプトのファラオ、アミュルタイオスが国政の主導権を握り、ペルシア勢力は一時的にエジプトから退けられました。

紀元前334年〜紀元前323年:アレクサンドロス大王の東征

ギリシャのアレクサンドロス大王がペルシアを征服

マケドニア出身のギリシャ王アレクサンドロス大王がペルシアを征服し、ギリシャ軍は壮麗な都ペルセポリスに火を放ちました。

紀元前332年

アレクサンドロス大王は、フェニキアをも征服しました。

紀元前264年:カルタゴ攻撃

ポエニ戦争の始まり

ローマがカルタゴへの攻撃を開始し、ここにポエニ戦争が幕を開けます。ローマとカルタゴは、地中海の覇権と通商の主導権をめぐって激しく対立しました。

紀元前146年

カルタゴはついにローマによって完全に破壊されました。

紀元前64年

中東地域の諸領土は、ローマによって征服されました。

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