アジアの歴史

紀元前5年頃~紀元391年:キリスト教の開花

紀元前5年頃~紀元391年:キリスト教の開花

紀元前5年頃

イエス・キリストの誕生

ナザレのイエスは、当時ローマ帝国の一州であったユダヤに生まれたユダヤ人です。30歳頃に12人の弟子を選び、布教活動を始めました。イエスが奇跡を起こすという噂が広まるにつれ、大勢の人々がその教えを聞きに集まるようになりました。当時のモザイク画には、イエスが死者を蘇らせる場面を描いたものも残されています。イエスは、ユダヤの律法を遵守することよりも、神を愛し隣人に仕えることのほうが重要であると説きました。さらに、人は悪行をやめて新たに生まれ変わり、神の王国での居場所を勝ち取らねばならないと語りました。

紀元29年頃

イエス・キリストの磔刑

イエスの教えはユダヤ教の宗教指導者たちとの対立を招く一方、ローマ当局は彼の思想がユダヤ地方での反乱につながることを懸念していました。こうしてイエスはエルサレムで逮捕され、ローマ属州の総督であったポンティウス・ピラトゥスの命令により磔刑に処されたのです。

紀元48~58年頃

キリストの言葉の伝道

イエスの死後、弟子たちは各地へ散らばり、その言葉を広めるとともに、彼が死から蘇ったと証言しました。中でもタルソスのパウロは、小アジア(現在のトルコ)、ギリシャ、そしてローマへと渡り、キリスト教のメッセージを伝える大きな役割を果たしました。

紀元前5年頃~紀元391年:キリスト教の開花

紀元70年

エルサレムからのユダヤ人追放

ローマ軍はエルサレムの第二神殿を破壊し、ユダヤ人は再び世界各地へ離散することとなりました。今日まで残されているのは、第二神殿の広場を支えていた壁のみです。この壁は「嘆きの壁」と呼ばれ、ユダヤ人にとって最も重要な礼拝と祈りの場となっています。ユダヤ教においては、かつてダビデ王のイスラエル王国の首都であったエルサレムへの帰還が、長い歴史を通じて常に願いとして掲げられてきました。

紀元312年

コンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認

ローマ皇帝コンスタンティヌスはキリスト教徒が自らの信仰を自由に実践することを認め、ヨーロッパにおけるキリスト教普及の道を開きました。彼は最初期の教会堂の建設を命じ、キリスト教徒にさまざまな特権を与えました。

紀元391年

ローマ皇帝テオドシウスは、キリスト教をローマ帝国の正式な国教と定めました。これにより、キリスト教は地中海世界全域に広がっていくことになります。

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