約7万年前、それまで温暖だった気候は世界的に寒冷化し、氷河期であるヴルム氷河期が約1万年前まで断続的に続く。
そんな氷河期は長く続きましたが、2万年前から徐々に温暖化する兆しが見えてきました。実は2万年~1万5千年前は「寒の戻り」でとても寒かったと言われています。
日本付近の平均気温はシベリア並みのマイナス7度だったと言われており、本格的な気温の上昇を感じたのは1万5000度を過ぎてから。
氷河期には、 陸上には大量の氷が存在します すること。近年よく耳にする地球温暖化による海面上昇は、地表の氷が溶けて海に流れ込むことが原因です。過去の氷期から間氷期に移行するときにも同じことが起こります。
少し強引ですが、太古の氷河期に地上の氷が溶けて海水に流れ込み、増えた海水がその重みでゆっくりと沈んだ結果が現在の海面だと言えます。
そのため、2万年以上前には海面は現在よりも100メートル以上低かったと考えられます。大型獣(マンモス、ナウマンゾウなど)を追った人々は、ユーラシア大陸と陸続きになって日本列島にたどり着きました。シベリア沿岸諸国から北海道へ(北航路)、朝鮮半島から九州へ(朝鮮航路)、小笠原諸島から本州へ(南海航路)、中国南部から(東シナ航路)、台湾・沖縄発(沖縄航路)。
出典:wikipedia 約2万年前の最終更新世の日本高度地図
海面の地域 植物が生息していない地域温暖化の兆しが見え始めたのと同時に、縄文時代と呼ばれる文化が見られ始めたようです。この気温の変化により、旧石器時代に食事をしていた大型の獣が徐々に消滅していったとも考えられています。
それまで頼っていた食料の入手方法は通用しなくなり、必要に応じて新たな文化が生まれてきました。土器の使用や定住生活など、旧石器時代とは異なる縄文文化の出現が新しい文化と言えます。
縄文時代の初めは気候が不安定で寒冷でしたが、徐々に安定し、約7,000~5,000年前には下温期(気候最適期)と呼ばれる時期に入ります。縄文時代の全盛期と重なります。当時の海面は現在より数メートルから4メートル高かったようです。
出典:洪水マップ http://flood.firetree.net/ 海抜 4m で作成
関東平野の一部や名古屋周辺、大阪府周辺が水没しているのがわかります。海の周りだけで採取できるはずの貝殻が捨てられている貝塚が内陸部にあるのは、地形が今と違うからです。
ちなみに4000年前には徐々に寒冷化が始まり、縄文時代の繁栄は衰退し始め、海岸線は現在と何ら変わりません。 7,000年前の人口は約26万1,000人と推定され、東日本に偏在していましたが、今後東から西への人口移動が少しずつ始まります。東日本の人口が狩猟採集経済の限界に達したためと思われる。
一方、縄文時代後期直前の紀元前1159年、アイスランドのヘクラ火山で大噴火が発生し、中国にも影響を与え、その後、本格的な地球規模の寒冷化が始まった。本来の冷却に拍車がかかりました。
陰 気候変動の影響により中国本土で王朝が滅ぼされる 周 王朝を持つことができるのです。この戦争は特に大きなものですが、殷王朝革命以前からさまざまな内戦が起きています。そうした混乱を避けるために中原(黄河中下流の平原)から中国南部に移住したと考えられ、もともと住んでいた人々は海を渡って各地に移動しました。もちろん、この目的地で日本列島に行き着く人もいます。
日本列島にたどり着いた人々は後に移民となった。 と呼ばれ、稲作や金属製品、戦争についての考え方などを教えてくれる。同時に大陸特有の病気も持ち込まれたとみられ、寒冷化による植生の変化により人口は約8万人に激減した。
寒さの影響で食べ物が手に入らなくなったら、当然別の方法で食べ物を手に入れる必要が出てきます。この時にとられた方法が渡来人が持ち込んだ稲作であり、弥生時代へ移行するきっかけとなった。