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【沖田総司】闘病を貫き通した新選組一のイケメン隊長!その実像とは?

【沖田総司】闘病を貫き通した新選組一のイケメン隊長!その実像とは?

新選組好きなら、この人物を知らない人はいないでしょう。むしろ女性ファンの間では特に絶大な人気を誇ります。

新選組一番組組長・沖田総司。若くして新選組随一の剣術の腕を持ち、現代の作品では繊細な美男子として描かれることが多い人物です。

新選組の名を全国に轟かせることになった「池田屋事件」のさなかに、病により吐血してしまうという場面もあり、これがまた女性ファンの心を掴んでやみません。

剣の才能に恵まれた若者でありながら、早くに病を患い、若くしてこの世を去りました。

今回は、そんな悲しくも短い生涯を駆け抜けた美剣士・沖田総司の人生をご紹介します。

幼少期から天才剣士だった!

【沖田総司】闘病を貫き通した新選組一のイケメン隊長!その実像とは?

1842年(または1844年)、江戸・西麻布の藩邸で生まれたとされています。

姉が二人いましたが、両親を早くに亡くしたため、長姉のみつに育てられました。

9歳頃、大人相手の剣術勝負に勝ってしまったことがきっかけで、江戸市谷(現在の新宿区)にある天然理心流の道場「試衛館」に入門します。9歳の子どもが大人に勝つなんて、想像すらできませんね。

後に新選組局長となる近藤勇や副長の土方歳三は、同じ試衛館の内弟子でした。内弟子とは、師匠のもとに住み込んで働きながら修行する弟子のことです。

近藤さんや土方さんとは、10歳ほどの年齢差がありました。

12歳頃には剣術師範代となり、試合にも勝利しています。

10代後半には、試衛館の筆頭を務めるまでに成長しました。

新選組二番組組長の永倉新八は、「土方歳三でも沖田総司と関われば子ども扱いされ、本気を出せば師匠の近藤勇にすら勝てただろう」と語っています。恐ろしい評価です。

新選組で大活躍!

【沖田総司】闘病を貫き通した新選組一のイケメン隊長!その実像とは?

池田屋事件!

20歳頃、後の新選組メンバーは、江戸から京都へ向かう将軍の護衛に参加しました。

21歳頃、京都の治安を守るために「新選組」が結成されます。

沖田さんは精鋭揃いの一番組の組長に任命されました。一番組は、最も重要な任務を担う部隊です。

当時の局長・芹沢鴨は、大坂西町奉行所与力の内山彦次郎らの暗殺などに関わっていました。芹沢鴨が暗殺された八木邸には、沖田さんの刀傷が残っているそうです。

22歳頃、「池田屋事件」が発生します。

わずか4人で、20人以上の敵と戦いました。

この時、結核による吐血をしたと伝えられています。

ただし、これは確証がなく、「気絶」と記録されているものの「吐血」の記録はないそうです。原因も病ではなく、蒸し暑い天候の中での戦闘だったため、実は「熱中症」だったのではないかとも言われています。

結核による吐血は後世の創作かもしれません。失礼ながら、この吐血こそが沖田さんの人気を高めた一因だと思います。イケメンは何をしていても絵になりますからね。

山南敬助の脱走事件!

【沖田総司】闘病を貫き通した新選組一のイケメン隊長!その実像とは?

半年後、兄のように慕っていた新選組総長・山南敬助が脱走するという事件が起こります。

新選組には局中法度「脱隊者は切腹!」という厳しい掟があるため、沖田さんは山南さんを追うことになりました。

命令されたことではありますが、長年付き合いのある近藤さんや土方さんの思いを汲んだ部分もあったのかもしれません。

刀を抜いた沖田さんが、ゆっくりと山南さんを追います。

しかし、山南さんもゆっくりと逃げていたため、皆の願いは叶わず、追いついてしまいました。

山南さんは抵抗せずに連れ戻され、京都へ。

そして山南さんは切腹しました。沖田さんは動揺を隠せなかったといいます。

この事件は、新選組史上最も悲しい出来事だと思います。この頃から新選組の輝きが翳り始めたように感じます。

そして沖田さん自身も、病の悪化により前線から遠ざかっていくのです。

病との闘い

江戸幕府が倒れ明治時代に入ると、新政府軍と旧幕府軍の間で「鳥羽・伏見の戦い」(京都)が勃発します。

新選組も参戦しますが、沖田さんだけは病のため大坂へ。

敗れた新選組は、沖田さんと共に海路で江戸へ戻ります。

その後、「甲州勝沼の戦い」(山梨)に参加しますが、途中で離脱。

そのまま幕府のお雇い医師の指示により、千駄ヶ谷で療養生活を送ることになりました。

新選組は敗戦を重ね、幼い頃から共に歩んできた近藤勇は敵に捕らえられ、斬首されてしまいます。

沖田さんは最後まで近藤さんの死を知らされず、「近藤先生はどうしていますか?手紙を書きたいのですが」と、死の直前まで話していたといいます。

近藤勇の死から2ヶ月後、25歳(27歳説あり)でこの世を去りました。お墓は六本木にあります。

沖田総司の逸話

【沖田総司】闘病を貫き通した新選組一のイケメン隊長!その実像とは?

本当にイケメンだったのか?

沖田総司は、どの作品でも必ず美男子として描かれます。

「若くて、剣が強くて、明るくて、少し病弱で色白の少年」——人気が出ないわけがありません。

しかし、生前の写真は一枚も残っていないのです。本当に残念です。

実際はどんな顔をしていたのでしょうか。

過去の証言や記述には、「美少年」という言葉は出てきません。

「平べったい顔で、笑うと愛嬌のある色黒」「猫背」「背が高い」といった感じのようです。うーん、どうでしょうか。

新選組の中には「五美男」と呼ばれる人がいたそうですが、沖田さんは含まれていなかったようです。

戦いへの姿勢!

沖田さんの言葉として、「刀を折られたら脇差を抜き、脇差を折られたら鞘で打ち、鞘を折られたら素手で戦え。戦場で誰も待ってはくれない」という言葉が残っています。戦の厳しさと真剣さが伝わる言葉ですね。

沖田さんの必殺技には「三段突き」があります。

足音は一度しか聞こえないのに、瞬時に三回の突きを放つ技です。目の前に立たされたら、想像するだけで恐ろしいですね。

江戸で床に伏せっていた時、庭に現れた黒猫を斬ろうとしたものの、「ああ、斬れぬ。斬れぬ」と言ったそうです。どんな心境だったのでしょうか。

まとめ

こうした逸話が残っているから美男子として描かれるのか、それとも美男子だからこそ逸話が格好よく語られるのか。

語られる話に脚色があったとしても、本人の人間性の魅力によって、人気は高まるばかりだと思います。

つまり、イケメンかどうかなんて関係ないのです。

要するに、沖田総司はカッコいいのです。