インド北部に位置するウッタルプラデーシュ州は、古代から近代にいたるまで、インド史の大きな転換点となった数々の戦争の舞台となってきました。マトゥラーやカナウジなどの古都を抱えるこの地では、ギリシャ勢力やフン族の侵攻、ムガル帝国の興亡、そしてイギリス植民地勢力との激しい戦いが繰り広げられました。ここでは、州内で起こった主な戦争を年代順にわかりやすく解説します。
ウッタルプラデーシュ州で起こった主な戦争
メナンドロスの戦い(紀元前182年)
紀元前182年に行われたこの戦いは、ギリシャ系の武将メナンドロスが勝利を収めました。彼はこの戦いでマトゥラーを占領し、インド亜大陸における勢力圏を大きく広げました。
フン族の侵攻(483年)
483年、トラマーナとミヒラクラに率いられたフン族が、マトゥラー、カナウジ、コーサンビーを相次いで攻略しました。この一連の戦いは「フンの戦い」と呼ばれています。
チャンダーワルの戦い(1194年)
エタワー近郊のカナウジで行われたチャンダーワルの戦いでは、カナウジの王ジャイチャンドが戦死しました。この敗北により、北インドにおけるイスラーム勢力の支配が決定的になりました。
ジャウンプールの戦い(1478年)
デリー・スルタン朝の君主バハルール・ローディーは、1478年のジャウンプールの戦いに勝利し、ジャウンプールを占領しました。
カナウジの戦いとムガル帝国の成立(1526〜1527年)
バーブルはローディー朝を破ってアワド地方を征服し、ムガル帝国の基礎を確立しました。その後、息子のフマユーンがラクナウを攻略しています。
カーリンジャルの戦い(1545年)
1545年、フマユーンはカーリンジャルの戦いでシェール・シャー・スーリーと対峙しました。シェール・シャー・スーリーはこの戦いで命を落とし、その後フマユーンによってムガル朝の統治がインドに再び確立されました。
バクサールの戦い(1765年)
アワドの太守シュジャーウッダウラーは、イギリス東インド会社軍との戦いに敗北しました。この結果、アワドはイギリスの強い影響下に置かれることになります。
バナーラスでの戦い(1780年)
バナーラス(ベナレス)の王チェート・シングは、イギリス総督ウォーレン・ヘースティングズとの戦いに敗れました。
マトゥラーの戦い(1804年)
1804年、レイク将軍率いるイギリス軍とマラーター勢力の間で戦いが起こりました。この戦いでマラーター側はイギリス軍を破り、周辺地域を制圧したと伝えられています。
メーラトの反乱――大反乱の始まり(1857年5月10日)
1857年5月10日、メーラトでイギリス支配に対する最初の武装蜂起が発生しました。当初は軍隊の反乱として扱われましたが、この事件こそが、イギリス支配に対する大反乱(第一次独立戦争)の発端となりました。
ジャーンシーの戦い(1857〜1858年)
1857年から58年にかけて、ジャーンシー藩王国の女王ラクシミバーイとヒュー・ローズ将軍率いるイギリス軍の間で激しい戦いが展開されました。イギリス軍はジャーンシー城塞を占領し、ラクシミバーイ女王は戦いの中でこの世を去りました。
チンハットの戦いとラクナウ解放(1857年)
1857年、アワドの太后ベーグム・ハズラト・マハルに率いられた軍は、チンハットの戦いでイギリス軍を撃退し、一時的に自由を取り戻しました。しかし12月6日にはイギリス軍がアワドの支配権を奪還しています。
カーンプル方面の戦い(1857年5月4日〜25日)
1857年5月4日から25日まで続いたカーンプル方面の戦いでは、ナーナー・サーヒブがイギリス軍に打ち勝ち、ビートゥールのペーシュワの称号を名乗りました。
まとめ
ウッタルプラデーシュ州は、古代ギリシャ勢力の進出から1857年の大反乱に至るまで、インドの歴史を動かす戦いが集中して起こった土地です。各戦争の背景と結果を知ることは、インド史全体の流れを理解するうえで非常に重要であり、各種試験対策としても役立ちます。年代順に整理してしっかり覚えておきましょう。