本記事では、1772年から1828年にかけてベンガル総督の職に就いた人物を、歴代総督の一覧としてご紹介します。各総督の任期や、在任中に起こった主要な戦争・条約・改革についてもわかりやすく解説します。
ベンガル総督の歴代一覧

ウォーレン・ヘースティングス(Warren Hastings/1772年〜1785年)
ベンガル初の総督です。
任期は1772年10月20日から1785年2月1日まで。
政府の国庫をムルシダーバードからカルカッタへ移転させました。また、民事裁判所と刑事裁判所を導入したことでも知られています。
1784年には「アジア協会(アジアティック・ソサエティ・オブ・ベンガル)」を設立しました。
この時期には、ロヒラ戦争、第一次マラーター戦争、第二次アングロ・マイソール戦争が相次いで起こりました。
1781年には、ムスリム教育の発展を目的として、カルカッタに最初のマドラサ(イスラム学院)が設立されました。
一方で、1775年にはナンダクマールが絞首刑に処され、1778年にはバナーラスのラージャー・チャイト・シングに対して高圧的な態度を取ったことでも知られています。
なお、1791年にはジョナサン・ダンカンによってバナーラスにサンスクリット大学が設立されました。
コーンウォリス伯爵(Lord Cornwallis/1786年〜1793年)
任期は1786年9月12日から1793年10月28日まで。
この時期には第三次マイソール戦争が起こり、1792年にシュリーランガパトナム条約が締結されました。また、「コーンウォリス法典」が制定されたのもこの時代です。
コーンウォリスは警察制度改革にも取り組み、1793年にはベンガルにおいて「永久定着(恒久的土地賦課制度)」を実施しました。これにより、ザミーンダール(地主)は地代収入の11分の10を東インド会社に納め、残りの11分の1を自らの手元に残すことが認められました。
サー・ジョン・ショア(Sir John Shore/1793年〜1798年)
任期は1793年10月28日から1798年3月まで。
自由放任主義(レッセフェール)の政策を採用し、アワード藩王国の後継者問題に介入した以外は、内政への干渉を極力控えました。1795年にはニザームとマラーターの間で戦争が勃発しています。
ウェルズリー卿(Lord Wellesley/1798年〜1805年)
ウェルズリー卿の指揮の下、イギリスは第四次アングロ・マイソール戦争(1799年)を遂行し、この戦いでティプー・スルタンは戦死しました。
また、インド支配の重要な手段となった「従属同盟条約(従属国家体制)」を開始したのも彼です。
ジョージ・バーロー(George Barlow/1805年〜1807年)
彼の治世中にヴェッルール反乱(1806年)が発生し、多くのイギリス兵が犠牲になりました。
ミントー卿(初代)(Lord Minto I/1807年〜1813年)
任期は1807年7月31日から1813年10月4日まで。
1813年に勅許法(チャーター・アクト)が成立しました。また、ミントーはチャールズ・メトカーフをランジート・シングの宮廷に派遣し、1809年にアムリットサル条約が調印されました。
ヘースティングス卿(Lord Hastings/1813年〜1823年)
任期は1813年から1823年まで。
1814年〜16年にはネパール戦争(グルカ戦争)が起こり、1816年にスガウリー条約が締結されました。
さらに1818年には第三次マラーター戦争(最後のマラーター戦争)が行われ、マラーター勢力は事実上滅亡しました。
アマースト卿(Lord Amherst/1823年〜1828年)
この時期に第一次アングロ・ビルマ戦争(1824年〜26年)が戦われました。
1824年にはバラックポーアでの軍隊反乱も発生しています。
また、この期間中にはバラトプル包囲戦も行われました。