本記事では、インドのデリー・スルタン朝におけるサイード朝(西暦1414年~1451年)について詳しく解説します。

サイード朝の成立
サイード朝は、ティムールの部将であったキズル・ハーンによって創設されました。彼は「ラーイヤト・アーラー(高き旗)」という称号を名乗り、1414年にデリーにおける支配権を確立しました。王朝の名前である「サイード」とは、預言者ムハンマドの子孫を意味する尊称であり、この王朝の支配者たちは自らをその血筋と主張していました。
ムバーラク・シャーの治世
キズル・ハーンの後を継いだのは、その息子であるムバーラク・シャーです。彼は父の方針を受け継ぎ、王朝の安定化に努めました。また、ムバーラク・シャーは歴史家ヤフヤー・ビン・アフマド・スィルヒンディーを庇護したことでも知られています。ヤフヤーが著した『ターリーフィ・ムバーラク・シャーヒー』は、サイード朝時代を知る上で最も重要な一次史料の一つとされています。
サイード朝の滅亡とローディー朝への移行
サイード朝最後の君主はアラーウッディーン・アーラム・シャーでした。1451年、彼はバフルール・ローディーによって退位させられ、ここに約37年間続いたサイード朝は幕を閉じました。その後、デリー・スルタン朝では新たにローディー朝(西暦1451年~1526年)が興ることとなります。