アジアの歴史

マウリヤ帝国とは?歴代3王の功績と試験対策の重要ポイントを解説

本記事では、古代インド史において最も重要な王朝の一つであるマウリヤ帝国について詳しく解説します。試験対策にも役立つ内容となっていますので、ぜひ参考にしてください。

マウリヤ帝国とは?歴代3王の功績と試験対策の重要ポイントを解説

マウリヤ帝国とは

マウリヤ帝国は、紀元前322年頃にチャンドラグプタ・マウリヤによって建国された、古代インドで初めて広範な地域を統一した大帝国です。首都はパータリプトラ(現在のパトナ)に置かれ、北インドから中央インド、さらには南インドの一部にまで版図を広げました。

チャンドラグプタ・マウリヤ(在位:紀元前322年~紀元前298年)

チャンドラグプタ・マウリヤは、軍師として名高いカウティリヤ(チャーナキヤ)の助力を得て、ナンダ朝の王ダーナーナンダを打倒し、マウリヤ帝国を建国しました。

セレウコス朝のセレウコス1世は、使節メガステネスをチャンドラグプタの宮廷に派遣しました。メガステネスが著した『インディカ』は、当時のインド社会を知るうえで貴重な史料となっています。なお、ギリシャ語文献に登場する「サンドロコットス」がチャンドラグプタであることを最初に特定したのは、イギリスの東洋学者ウィリアム・ジョーンズです。

晩年のチャンドラグプタは、ジャイナ教の僧バドラバーフーから入門し、シュラヴァナベラゴラにおいてサッレーカナー(断食による自死の修行)によってこの世を去ったと伝えられています。

ビンドゥサーラ(在位:紀元前298年~紀元前272年)

チャンドラグプタの後を継いだのは、その子ビンドゥサーラです。「敵を滅ぼす者」を意味する「アミトラガータ」という別名でも知られており、アージーヴィカ教団の信者でした。

ビンドゥサーラは、西アジアのセレウコス朝の王アンティオコス1世に対し、イチジクやワイン、さらに哲学者(ソフィスト)の派遣を求めたことで有名です。

アショーカ王(在位:紀元前273年~紀元前232年)

マウリヤ帝国で最も有名なのが第三代のアショーカ王です。彼は、民衆の道徳的な向上を目指して説いた「ダンマ(法)」の政策によって特に知られています。

カリンガ戦争と心境の変化

アショーカは即位8年目(紀元前261年)にカリンガ(現在のオリッサ地方)を攻めて征服しました。しかし、この戦争で多くの人々が死傷する惨状を目の当たりにしたアショーカは、武力による征服を捨て、ダンマによる統治へと政策を大きく転換しました。カリンガ戦争と彼の心境の変化については、第13岩碑文に詳しく記されています。

仏教への帰依

アショーカは、兄スマナの息子ニグローダに感化され、後に高僧ウパグプタから正式に仏門に入りました。彼の説いたダンマの内容は、バーブラー碑文(小磨崖法勅)に引用される『ラーフラーヴァーダー経』などの仏典から知ることができます。

碑文による統治

アショーカは帝国の各地に石碑を建立し、自らの勅令や国家の方針を碑文として刻ませました。これらの碑文は、ブラーフミー文字、カローシュティー文字、アラム文字、ギリシャ文字で書かれています。

アショーカ碑文の解読に成功したのは、1837年のジェームズ・プリンセップです。彼の業績により、碑文中の「デーヴァーナーンピヤ・ピヤダシー」という称号の持ち主がアショーカ王であることが明らかになりました。

行政制度

マウリヤ帝国の高級官僚は「ティルタ」と呼ばれ、その数は18と伝えられています。帝国の政治や行政について詳しい情報をもたらす史料としては、カウティリヤ(チャーナキヤ)の著した『実利論(アルタシャーストラ)』と、メガステネスの『インディカ』が特に重要です。

まとめ

マウリヤ帝国は、チャンドラグプタによる建国から始まり、ビンドゥサーラの時代を経て、アショーカ王のもとで最盛期を迎えました。アショーカのダンマ政策と碑文は、後世のインドのみならず世界の歴史にも大きな影響を与え続けています。試験では、歴代の王の治績、カリンガ戦争、碑文に関する事項が頻出なので、しっかりと押さえておきましょう。