アジアの歴史

日本が真珠湾を攻撃したのはいつ?アメリカの第二次世界大戦参戦のきっかけとなった日

日本がハワイの真珠湾を攻撃したのは、1941年(昭和16年)12月7日です。この攻撃は、それまで第二次世界大戦に直接関与していなかったアメリカ合衆国を戦争へと引き込む決定的な転換点となりました。

真珠湾攻撃の概要

1941年12月7日(ハワイ時間)の日曜日の朝、日本海軍は航空母艦6隻から発進した艦載機約350機により、オアフ島の真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊への奇襲攻撃を実施しました。この攻撃により、戦艦4隻が沈没し、その他多数の艦船や航空機が損傷を受け、2,400人以上のアメリカ兵と民間人が犠牲となりました。

なぜ「12月8日」とされるのか

日本では、この攻撃は12月8日として記録されています。これは、ハワイと日本の時差(当時約5時間半)によるもので、ハワイでの12月7日朝の攻撃が、日本時間ではすでに12月8日になっていたためです。日本ではこの日を「開戦の日」と呼び、当時の新聞には「真珠湾を奇襲」「米英に宣戦布告」などの見出しが躍りました。

アメリカの参戦へ

攻撃の翌日である12月8日、ルーズベルト大統領は連邦議会で演説を行い、この日を「不名誉な日(a date which will live in infamy)」として強く非難しました。議会はわずか1票の反対を除いて対日宣戦を可決し、アメリカは正式に第二次世界大戦に参戦することとなりました。その後、ドイツとイタリアも対米宣戦布告を行ったことで、戦争は真に世界的な規模へと拡大していきました。

歴史に残る転換点

真珠湾攻撃は、太平洋戦争(大東亜戦争)の幕開けとなった出来事であり、その後の世界史の流れを大きく左右しました。攻撃から約3年9か月後の1945年、日本はポツダム宣言を受諾して降伏し、第二次世界大戦は終結を迎えます。今日でも12月7日はアメリカにおいて「真珠湾攻撃記念日(National Pearl Harbor Remembrance Day)」として、犠牲者を追悼する日に定められています。