「モンゴルは宋の時代に中国を侵略しなかった」は正しい?
この質問に対してよく見られる答えに「モンゴルは宋王朝の時代には中国を侵略せず、元王朝になって初めて中国を征服した」というものがあります。しかしこれはやや誤解を招く説明です。実際には、モンゴル帝国は宋王朝が存続していた時期に華北へ侵攻しており、元王朝とはモンゴル人が征服を進める過程で自ら打ち立てた王朝だからです。
モンゴル帝国の南下と金の滅亡
1206年、チンギス・ハンがモンゴル帝国を建国すると、その軍勢は瞬く間に拡大していきました。当時、華北を支配していたのは女真族の金(きん)王朝ですが、モンゴル軍は1211年頃から金への攻撃を開始し、1234年についにこれを滅ぼします。
南宋への攻撃開始――ここから44年の攻防
金を滅ぼしたモンゴルは、翌1235年から長江以南に勢力を保つ南宋への本格的な侵攻を始めました。ところが宋の抵抗は想像以上に頑強でした。四川の山岳地帯に築かれた要塞群、長江を守る水軍、そして襄陽(じょうよう)のような堅固な城塞都市が、モンゴル軍の進撃を何十年にもわたって妨げたのです。
元王朝の成立と宋の最期
1260年にハン位についたクビライは、1271年に国号を「大元」と定めました。つまり元王朝は、宋がまだ南半分を支配している最中に成立したのです。1273年に襄陽が陥落すると戦況は一気に傾き、1276年には宋の都・臨安(現在の杭州)が開城しました。残された忠臣たちは幼帝を擁して南へ逃れますが、1279年の崖山(がいざん)の海戦で宋は完全に滅亡しました。
結論:モンゴルの侵攻後、宋は約44年間存続した
まとめると、モンゴルが南宋への攻撃を開始した1235年から滅亡の1279年まで、宋王朝は実に44年間持ちこたえたことになります。元王朝の成立(1271年)から数えるなら約8年間です。ユーラシアの大部分を飲み込んだモンゴル帝国に対しこれほど長く抵抗できた政権は珍しく、その背景には宋の豊かな経済力、堅牢な城塞、そして優れた水軍の存在がありました。
なお、「元王朝になってから中国を征服した」という表現は厳密には不正確で、「モンゴル人の征服活動の中で元王朝が樹立され、その過程で宋が滅んだ」と理解するのが歴史的に妥当です。