アジアの歴史

日系アメリカ人強制収容に関与したのは誰?三権それぞれの役割を解説

日系アメリカ人強制収容に関与した主な主体

第二次世界大戦中、約12万人の日系アメリカ人が強制的に収容されました。この歴史的な政策に関与したのは、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(行政府)、合衆国議会(立法府)、そして合衆国最高裁判所(司法府)という、連邦政府の三権すべてです。

1. フランクリン・D・ルーズベルト大統領

1942年2月19日、ルーズベルト大統領は「大統領令9066号」に署名しました。この命令により、軍は西海岸一帯を軍事地区として指定し、日系人に対する立ち退きと強制収容を実施できるようになりました。真珠湾攻撃後の戦時下において、「国家安全保障」を名目とした措置でした。

2. 合衆国議会

議会も強制収容政策を支持し、予算や法制の面でこれを支えました。戦後の1988年には、「市民の自由法(Civil Liberties Act)」を可決し、政府による収容が不当であったことを正式に認めました。この法律により、生存者一人当たり2万ドルの賠償金と、米国政府からの公式な謝罪が行われました。

3. 合衆国最高裁判所

最高裁判所は、強制収容の合法性を争う訴訟に対し、原則としてこれを容認する判断を下しました。特に知られているのが1944年の「コレマツ対合衆国事件(Korematsu v. United States)」であり、裁判所は軍事的必要性を理由に収容措置を合憲と判断しました。この判決は後に広く批判されることとなり、2018年にはロバーツ首席判事が「法廷で覆された過ち」であると述べています。

まとめ

日系アメリカ人強制収容は、行政府・立法府・司法府の三権すべてが関与した国家的な政策でした。戦後、米国政府はこの歴史を認めて謝罪と補償を行いましたが、公民権と国家安全保障のバランスを問う重要な教訓として、今日でも語り継がれています。