アジアの歴史

朝鮮戦争で誰が中国への核攻撃を企てたのか?

朝鮮戦争と「核使用」をめぐる米軍内部の論争

1950年から1953年にかけて続いた朝鮮戦争では、アメリカ空軍の内部で、中国に対する原子爆弾の使用をめぐって深刻な議論が交わされていました。この論争は、単なる作戦上の問題にとどまらず、戦争全体の指導方針に関わる重大なテーマでした。

ルメイ将軍の主張――鴨緑江流域への核攻撃

戦略航空軍団(SAC)司令官のカーティス・ルメイ将軍は、中国側の目標、とりわけ中国軍の補給路となっていた鴨緑江流域への原子爆弾の使用を強く主張していました。中国軍は鴨緑江を越えて朝鮮半島へ介入しており、同将軍はこの要衝を核攻撃することで戦争を早期に終結させられると考えていたのです。

トルーマン政権の慎重姿勢と封じ込め政策

一方、トルーマン大統領とその側近たちは極めて慎重な立場を取りました。核兵器の使用はソ連との直接対決、さらには世界的な大規模紛争に発展する危険を伴うと判断したのです。そこで政権が選んだのは「封じ込め」政策でした。これは、中国軍の攻勢を食い止めることはしても、戦火を中国本土へ拡大させず、紛争をこれ以上エスカレートさせないという方針です。

歴史に残る教訓

この内部論争は、核兵器が実際に使用される「通常の武器」から、抑止力として位置づけられる存在へと転換していく過程を示す重要な事例とされています。もし当時、ルメイ将軍の主張が受け入れられていれば、東アジアの歴史、ひいては世界の冷戦構造はまったく異なるものになっていたかもしれません。