1973年のヨム・キプル戦争――アラブ諸国がイスラエルを攻撃した背景
1973年10月6日、エジプトとシリアは、ユダヤ教で最も神聖な日とされる「ヨム・キプル(贖罪の日)」に合わせて、イスラエルへの奇襲攻撃を開始しました。ヨルダンやイラクもこれに加わり、アラブ側として参戦・支援を行いました。アラブ諸国がこの時期に攻撃を決断した背景には、以下のような重要な要因がありました。
1. 第三次中東戦争で失った領土の奪回
最大の動機は、1967年の第三次中東戦争(六日間戦争)で失われた領土の回復でした。エジプトはシナイ半島とガザ地区を、シリアはゴラン高原を、ヨルダンはヨルダン川西岸地区をそれぞれ喪失していました。これらの領土を取り戻すことは各国にとって国家的な悲願であり、軍事的手段による奪回が現実の選択肢として検討されていたのです。
2. 地域のパワーバランスの転換
アラブ諸国は、イスラエルの軍事力増強と、米国との強固な同盟関係を強く懸念していました。イスラエルへの攻撃によって自国の交渉力を高め、イスラエルが地域で一方的に行動する能力を抑え込もうとしたのです。実際、開戦当初のアラブ側の軍事的成功は、その後の中東外交における各国の立場を大きく変えることになりました。
3. アラブ世界の結束
第三次中東戦争後、アラブ世界は分裂状態にありました。エジプトやシリアのように対イスラエル強硬路線を採る国々もあれば、ヨルダンやサウジアラビアのように穏健的な対応を重視する国々も存在しました。イスラエルへの共同攻撃は、こうした溝を埋め、対イスラエルで一致団結した姿勢を内外に示す絶好の機会と見なされたのです。
4. 奇襲による戦術的優位
攻撃日がヨム・キプルに設定された点も見逃せません。ユダヤ暦で最も神聖なこの日、多くのイスラエル人は断食を行い、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)で祈りを捧げていました。さらにこの日はイスラム教の断食月(ラマダン)にも当たっていました。そのためアラブ側はイスラエル軍の不意を突くことに成功し、開戦初期に大きな優位を確保しました。
戦争の結果とその影響
ヨム・キプル戦争は最終的に膠着状態で終わり、双方が勝利を主張しました。しかし、この戦争は中東地域に多大な影響を及ぼしました。オイルショック(石油危機)を引き起こしたことは特に有名です。また、戦後の米ソ主導の停戦交渉を経て、エジプトとイスラエルの間でシナイ半島の一部返還が実現し、その後のキャンプ・デービッド合意(1978年)やエジプト・イスラエル平和条約(1979年)へとつながる、将来の和平交渉の基礎が築かれたのです。