アジアの歴史

なぜクビライ・カーンは父の土地を手に入れることができたのか?モンゴル帝国の相続のしくみ

はじめに:モンゴル帝国の「相続」のしくみ

モンゴル帝国では、広大な領土と最高権力は、チンギス・カンの血族である「黄金の一族(アルタン・ウルグ)」全体の共有財産であるという考え方が根付いていました。そのため、後継者は必ずしも長子が自動的に継ぐのではなく、有力な皇族が集まる会議「クリルタイ」で選ばれるのが慣例でした。この独特な制度こそが、クビライ・カンの継承を理解する鍵となります。

最初に父の遺産を継いだオゴデイ・カン

チンギス・カンの領土と地位を最初に受け継いだのは、三男のオゴデイ・カンです。彼はモンゴル帝国の第2代ハーンとして、1229年のクリルタイで正式に即位しました。チンギス・カン自身も生前、帝国を家族の共有財産とみなし、息子たちにそれぞれのウルス(分封領)を与えたうえで、後継者としてオゴデイを指名していました。これが「父の土地を子が受け継ぐ」というモンゴル帝国における最初の事例となりました。

クビライ・カンは誰から帝位を継いだのか

クビライ・カンはチンギス・カンの孫(四男トルイの子)にあたり、モンゴル帝国の第5代ハーンです。ここで注目すべきは、彼が帝位を継いだ相手が父親ではなく、兄のモンケ・カンだったという点です。1259年、モンケが南宋遠征の最中に陣没すると、クビライは翌1260年にクリルタイでハーンに推戴されました。

ただしこの継承には異論があり、末弟のアリクブケも独自のクリルタイでハーンを称したため、兄弟間で帝位をめぐる内戦(帝位継承戦争)が勃発します。最終的にクビライが勝利して帝国の実権を握り、のちに国号を「大元」と定め、中国式王朝の皇帝として君臨することになりました。

まとめ:「父の土地」をめぐる真実

「クビライ・カーンはなぜ父の土地を手に入れられたのか」という問いへの答えはこうです。モンゴル帝国では帝国全体が黄金の一族の共有財産であり、ハーン位はクリルタイの決議によって決まるため、クビライは父トルイから直接ではなく、兄モンケ・カンの後継者として帝位を継承しました。とはいえ、トルイ家はモンゴル高原という帝国の本拠地を保持しており、クビライはその強固な基盤を土台として、史上最大級の大帝国を統治していったのです。