1941年12月8日に始まった香港の戦いは、同年12月25日の香港陥落まで約18日間続いた激戦でした。ここでは、この戦いに関連して語られた歴史上の人物たちの発言を紹介します。
イギリスのウィンストン・チャーチル首相(1941年8月)
「我々は決して圧制との闘いをやめない。我々は海で戦い、浜辺で戦い、上陸地点で戦う。野原で、街路で、そして丘でも戦おう。我々は決して降伏しない」
この言葉は、1940年6月4日に庶民院で行われた有名な「浜辺で戦う」という演説の一節としても知られ、対枢軸国戦争における英国の不屈の意志を象徴するものとなりました。
クリストファー・マルトビー少将――在香港英国軍司令官(1941年12月17日、ラジオ放送にて)
「我々は圧倒的な敵と並んで戦ってきた。そして世界に示したのだ。いかに精鋭なる部隊といえども、圧倒的な兵力と装備を擁する相手の前では限界があるということを」
香港守備隊の総指揮官であったマルトビー中将の言葉は、多国籍で編成された守備隊が直面した過酷な状況を物語っています。
酒井隆陸軍中将――日本軍第38師団長(1941年12月25日、記者会見にて)
「香港の攻略は極東の歴史における転換点である。これはイギリスの威信にとって痛打であり、日本軍の優越性を証明するものである」
第38師団は香港攻撃の主力として投入され、12月25日のクリスマスに香港は陥落しました。この日は後に「暗黒のクリスマス」と呼ばれることになります。
孫文博士――中華民国国父(1912年1月1日、香港での演説にて)
「革命の目的は、専制的な清王朝を打倒し、民族・民権・民生という三民主義に基づく共和国を樹立することにある。これによって我々は、中華民族と世界のための新時代を切り開くのである」
辛亥革命の指導者である孫文のこの言葉は、香港の戦い以前の時代のものですが、香港が中国近代史において重要な舞台であったことを示す発言として広く知られています。
ジョン・D・ラヴァラック中佐――第2/21オーストラリア大隊長(1941年12月11日、深水埗の戦いにて)
「我々は兵力でも火力でも大きく劣勢だった。それでも7日間にわたり日本軍に対して持ちこたえた。兵士たちは勇敢に戦い抜き、我々は彼らの犠牲を誇りに思う」
深水埗周辺での防衛戦は、守備隊の奮戦を象徴する場面の一つとして語り継がれています。