原爆投下の候補都市として挙げられていた場所
第二次世界大戦末期、アメリカ軍は原子爆弾の投下目標として複数の日本の都市をリストアップしていました。最終的に広島と長崎が選ばれることになりましたが、それ以外にも候補となった都市が存在します。
主な候補都市は以下の通りです。
- 京都
- 小倉(現在の北九州市)
- 横浜
- 八幡(現在の北九州市)
- 新潟
- 大阪
- 東京
なぜこれらの都市が候補になったのか
原爆投下の目標を選定する際、アメリカ軍は「軍事施設や兵器生産の拠点であること」「爆撃を受けた経験が少なく、爆弾の威力を正確に測定できること」「地形が適していること」などを基準としていました。
例えば、八幡は当時日本最大級の製鉄所を擁する重工業の中心地であり、小倉には大規模な兵器工場が集中していました。新潟は港町であり、京都や大阪も人口密集地かつ産業都市として名前が挙がっていました。
京都が外された理由
興味深いことに、当初リストの筆頭格だった京都は、陸軍長官ヘンリー・スティムソンの強い反対により候補から外されました。彼は京都が日本の歴史・文化の中心地であることを重視し、戦後の日米関係への悪影響を懸念したとされています。
小倉から長崎へ変更された経緯
1945年8月9日の2回目の原爆投下では、第一目標は小倉でした。しかし、当日の視界不良や煙による視認性の悪さから攻撃を断念し、第二目標であった長崎に変更されたという経緯があります。
このように、原爆投下の標的選定には偶然や判断の積み重ねが関わっており、歴史の分岐点とも言える出来事でした。