アジアの歴史

中国人移民の運命を変えた米最高裁判所の歴史的判決5選|公民権と移民の権利をめぐる裁判を解説

はじめに

アメリカ合衆国最高裁判所は、移民やマイノリティの権利をめぐって、歴史の転換点となる数々の判決を下してきました。その中には、中国人移民をはじめとするアジア系住民の運命を大きく左右した重要な訴訟が含まれています。本記事では、1886年から1967年にかけて行われた代表的な5つの裁判を取り上げ、それぞれの争点と判決内容、そして歴史的な意義をわかりやすく解説します。

Yick Wo 対 Hopkins 事件(1886年)

サンフランシスコ市は、中国系の洗濯業者に対してのみ特別な営業許可の取得を義務付ける条例を制定しました。これに対し、中国人洗衣業者のイック・ウー(Yick Wo)が提訴しました。
最高裁判所は、この条例が憲法修正第14条の「法の下の平等」(平等保護条項)に違反しているとして違憲と判断しました。同法は中国系移民を差別するものであり、正当な政府の利益によって正当化できるものではないと結論づけたのです。この判決は、国籍にかかわらず憲法上の保護がすべての人に及ぶことを示した画期的な先例となりました。

Wong Kim Ark 対 合衆国事件(1898年)

中国人移民の両親のもとにアメリカ国内で生まれた子どもは、果たしてアメリカ市民になれるのか。この根本的な問いが争われたのがこの裁判です。
最高裁判所は、両親の移民資格や出身地にかかわらず、アメリカで生まれた子どもは出生によってアメリカ市民権を取得すると認めました。憲法修正第14条の「出生による市民権」の規定は、人種や血筋を問わず、アメリカで生まれたすべての人に適用されるという判断です。この判決は今日まで続く出生地主義(citizenship by birth)の法的根拠となっています。

United States 対 Bhagat Singh Thind 事件(1923年)

インド系移民のバガット・シング・ティンド(Bhagat Singh Thind)が帰化を申請したところ、「白人」とみなされないことを理由に拒否されたことが発端となった裁判です。
1790年の帰化法は、市民権の取得を「自由な白人」に限定していました。最高裁判所は、インド系の人々はこの定義には含まれないと判断し、ティンドの帰化を認めませんでした。この判決は、人種をめぐる恣意的な分類が移民の権利を左右していた当時の状況を示す痛ましい例として知られています。

Korematsu 対 合衆国事件(1944年)

第二次世界大戦中、アメリカ政府は西海岸に居住する日系アメリカ人約12万人を強制的に立ち退かせ、収容所へ送りました。日系人のフレッド・コレマツ(Fred Korematsu)がこの命令に抵抗したことが、この歴史的裁判につながりました。
しかし最高裁判所は、国家の安全保障上の利益を理由に、政府の強制退去・収容命令を支持する判決を下しました。この判決は後に「歴史上最も批判されるべき判決の一つ」とされ、1980年代には連邦議会が公式に謝罪し、補償を行うことになりました。公民権と国家安全保障の緊張関係を象徴する事件として、今もなお議論の対象となっています。

Loving 対 Virginia 州事件(1967年)

バージニア州など多くの州では、異人種間の結婚を禁じる法律(反異人種混婚法)が存在していました。白人男性と黒人女性の夫婦であるラヴィング夫妻(Loving couple)の闘いが、この裁判の出発点でした。
最高裁判所は、異人種間結婚を禁止する法律は、憲法修正第14条の平等保護条項および適正手続き条項に違反するとして違憲と判断しました。この判決により、全米で人種間結婚の自由が確立され、婚姻の自由における大きな前進となりました。

おわりに

これら5つの判決は、アメリカにおける移民の権利と公民権の歴史を映し出す鏡です。初期には差別を容認あるいは拡大する判決もありましたが、時代とともに平等の原則が強く打ち出されるようになりました。Yick Wo事件からLoving事件に至る流れは、司法が社会正義を実現する力を持ちうること、そしてその実現には長い時間と多くの人々の闘いが必要だったことを物語っています。