モハンマド・レザー・パーレビはいつ、どのようにして王位に就いたのか?
モハンマド・レザー・パーレビがイランの王座に就いたのは、1941年9月16日のことです。第二次世界大戦中、イランに侵攻したイギリス・ソ連両軍によって父レザー・シャーが退位を強制されると、閣僚会議の選出とイラン議会の承認を経て、彼が後継者として即位しました。
シャーになるうえでの彼自身の役割とは?
モハンマド・レザー・パーレビがシャーの地位につけたのは、何よりも父レザー・シャーの影響力と後押しによるものでした。レザー・シャーはイランを近代化し、軍事力を強化した強力な君主であり、イランを地域の戦略的同盟国とみなすイギリスやアメリカの政府とも緊密な関係を築いていました。退位を余儀なくされた際、レザー・シャーは長男であるモハンマド・レザーを後継者に指名したのです。
父と比べると、モハンマド・レザー・パーレビは経験不足で影響力の弱い統治者であり、父の側近たちや英米両政府の意向に大きく左右される面がありました。それでも、軍隊と秘密警察(サヴァク)の支援、そして潤沢な石油収入に支えられ、彼は30年以上にわたって権力を維持することに成功しました。
イランの近代化と経済発展における役割
モハンマド・レザー・パーレビは、イランの近代化と経済発展において重要な役割を果たしました。父が進めた工業化とインフラ整備の路線を引き継ぎつつ、数々の社会・経済改革を実施しました。その内容には、教育と医療の拡充、女性の解放、そして農地改革による土地の再分配が含まれます。これらは1963年に始まる「白色革命」と呼ばれる一連の政策として知られています。こうした改革の結果、1960年代から1970年代にかけて、イランは急速な経済成長と社会的変革の時代を迎えることとなりました。
権力からの転落——イラン革命
モハンマド・レザー・パーレビの政権は、1979年のイラン革命によって打倒されました。革命の背景には、経済格差の拡大、政治的な抑圧、そしてアメリカとの深い結びつきに対する国民の反発など、複数の要因が絡み合っていました。シャーは1979年1月にイランを脱出して亡命し、まもなくイランはイスラム共和国として宣言されました。モハンマド・レザー・パーレビはその後、エジプトでの亡命生活の中で1980年にこの世を去りました。