中国史上、庶民から皇帝へと成り上がった人物として最も有名なのが、漢王朝の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)です。しかし、天下を取る以前の劉邦は、決して目立った存在ではありませんでした。彼は秦の時代、故郷である沛県(はいけん、現在の江蘇省沛県)で「亭長(ていちょう)」という下級官吏を務めていたのです。
亭長とはどんな役職か?
亭長は、当時の地方行政における最末端ともいえる小役人でした。亭とは十里(約4キロメートル)ごとに設けられた宿場兼治安拠点で、亭長には次のような職務が課せられていました。
- 街道を行き交う旅人の接待や宿泊の世話
- 付近一帯の治安維持と盗賊の取り締まり
- 郵便・伝達業務の管理
言わば現代でいう「駐在さん」や「休憩所の管理人」に近い立場であり、収入もごくわずかで、決してエリートへの道が開けるような役職ではありませんでした。
無頼派として知られた青年時代
劉邦は農家の三男として生まれましたが、農作業を嫌い、酒と女好きで気ままに過ごしていたと伝えられます。その一方で、度量が大きく人を惹きつける魅力があり、周囲には多くの仲間が集まっていました。後に彼の腹心となる蕭何(しょうか)や曹参(そうしん)らも、この頃からの知己です。
人生の転機——囚人を逃がし、山賊へ
劉邦の運命を変えたのは、刑徒(労働に従事させる罪人)を驪山(りざん)の工事現場へ護送する任務でした。道中で脱走者が相次ぎ、規定の人数を届けられなければ自分も死罪になることを悟った劉邦は、残りの囚人を全員解放してしまいます。すると一部の者たちが「お前についていく」と志願し、彼は芒碭山(ぼうとうざん)に隠れて反秦の勢力として活動を始めました。
乱世の中で頭角を現す
紀元前209年、陳勝・呉広の乱をきっかけに全国で反秦運動が勃発すると、劉邦は沛県の人々に推されて挙兵します。ここから彼は項羽(こうう)ら群雄と覇を競いながら勢力を拡大し、紀元前202年についに皇帝の座に就き、漢王朝を打ち立てたのです。
亭長という名もない小役人から皇帝へ——劉邦の前半生は、「生まれや肩書ではなく、人を見抜く眼と胆力こそが成功を分ける」という教訓を今に伝える物語といえるでしょう。