北米の歴史

世界を救った37分――「数えてから行動せよ」が歴史を変えた瞬間

「何か言ったり行動したりする前に、まず100まで数えなさい」

これは誰もが一度は耳にしたことのある、実に理にかなったアドバイスです。そして歴史の結果を見ると、ロシア(当時のソ連)の人々は、この格言の忠実な実践者だったようです。世界を救った37分は、二つの出来事に分けることができます。

前半の20分――スタニスラフ・ペトロフの冷静な判断

サッカーの試合の約4分の1、バスケットボールなら2つのクォーター、1時間の3分の1……そう聞くと短く感じられますが、これこそが、アメリカ・モンタナ州のマームストロム基地から発射された大陸間弾道ミサイルがロシア領土に到達するまでにかかる時間でした。

1983年9月26日午前0時14分、ソ連の早期警戒衛星が、5発の米国弾道ミサイルの発射を探知しました。ソ連軍中佐スタニスラフ・ペトロフは、セキュリティプロトコルを起動する責任者、すなわち報復ミサイルを発射して全面核戦争を招くかどうかの決定権を、まさにその瞬間握っていました。しかし幸運にも、彼は直感ではなく理性でこう考えたのです。

「たった5発のミサイルで核戦争を仕掛ける者がいるだろうか」

このいわゆる「秋分点事件」は、地球・太陽・人工衛星・秋分の太陽光が重なり合う天文現象によって引き起こされたもので、レーダー上にミサイルのように見える一連の熱信号が映り込んでしまったのです。彼の「忍耐」と「的確な職務遂行」が、世界を最後の戦争から救ったのでしょうか。皮肉なことに、ソ連政府は彼を厳しく叱責し、降格処分としました。スタニスラフ・ペトロフのその後については、cabovoloで詳しく読むことができます。

世界を救った37分――「数えてから行動せよ」が歴史を変えた瞬間

後半の17分――ケネディ大統領の運命の演説

もうひとつの17分とは、1962年10月22日にJ.F.ケネディ米大統領が行ったテレビ演説の長さです。この演説で彼は、ソ連がキューバ島への核ミサイル設置を継続できないよう、海上封鎖を実施すると宣言しました。

これに対するニキータ・フルシチョフ首相の反応は、10月24日付のもので、その意思は疑いの余地なく明確でした。

「……ソ連はこの封鎖を侵略行為とみなし、船舶の針路を変更しない」

世界は震え上がりました。しかしいざという時、ソ連側も思い直し、最終的に譲歩しました。この危機を機に、米ソ間の誤解を防ぐためのホットライン(直通通信回線)が設置されることになったのです。

世界を救った37分――「数えてから行動せよ」が歴史を変えた瞬間

この「数えてから行動せよ」という格言が、あらゆる分野の指導者たちにとって、今後も変わらぬ金科玉条であり続けることを願ってやみません。