北米の歴史

女性として初めて米国大統領に立候補した先駆者――ビクトリア・ウッドハルの挑戦

男女平等を実現するという長く、いまだ道半ばの歴史の中で、女性がまだ到達できていない最も重要な節目の一つ。それが、今日の世界で最も強大な権力を握る地位――アメリカ合衆国大統領に就くことです。

2016年にはヒラリー・クリントンが女性として初めて主要政党の大統領候補となり、かつて「ファーストレディ」と呼ばれた人物が大統領の座に就くのかと世界が注目しました(当選していれば、夫で元大統領のビル・クリントンを何と呼ぶべきなのかという議論も巻き起こったことでしょう)。しかし結果は惜しくも及ばず、女性大統領の誕生は今も実現していません。

しかし、この記事で取り上げるのはまったく別の人物です。実は1872年、当時の慣習に果敢に立ち向かい、女性でありながら大統領選への立候補を宣言した先駆的な女性がいました。その名は、今回の主人公ビクトリア・ウッドハル(Victoria Woodhull)です。

時代をはるかに先取りした女性

1838年9月23日、オハイオ州で生まれたビクトリアは、女性の権利や労働者の権利、さらには当時大きな物議を醸した「自由恋愛」の理念を強く支持した人物でした。生涯を通じて、当時の女性には「ふさわしくない」と見なされた活動を次々と展開していきます。

1870年には、妹テネシー・クラフリンと共にウォール街に証券会社「ウッドハル・クラフリン商会」を設立し、女性初のウォール街ブローカーとして大きな話題を集めました。さらに同年には週刊紙「ウッドハル&クラフリン・ウィークリー」を創刊。この新聞は、カール・マルクスの『共産党宣言』が英語で掲載されたアメリカ初の出版物としても知られています。

1872年、女性初の大統領候補に

しかし、彼女が歴史に名を刻むことになったのは、アメリカ大統領選挙史上初の女性候補者となったことです。1872年5月10日、ニューヨークで開催された党大会において、新設された「平等権党(Equal Rights Party)」の大統領候補に指名されたのです。

障害とスキャンダルに満ちた選挙戦

彼女の選挙戦は、障害とスキャンダルの連続でした。副大統領候補には、元奴隷で廃奴運動の指導者だった黒人活動家フレデリック・ダグラスが指名されましたが、本人はこの指名を受け入れることを拒否しています。

さらに選挙の数日前、ビクトリアは、有名なニューヨークのプロテスタント牧師ヘンリー・ワード・ビーチャー(Henry Ward Beecher)の不倫を告発する記事を紙面に掲載したとして、当局から「わいせつ物の頒布」容疑で逮捕されてしまいます。結果として、大統領選挙でウッドハルが獲得した選挙人票はゼロ。一般投票でどれほどの票を集めたのかを示す記録も残っていません。

困難に屈しなかったその後の人生

ビクトリアはこうした困難に屈することなく、その後さらに2回、大統領選への立候補を試みながら、女性と労働者の権利のための闘いを続けました。一方、私生活においても波乱に満ちた歩みを重ね、最終的にはイギリスへ渡って定住することになります……が、その物語はまた別の機会に。

ビクトリア・ウッドハルの生涯についてさらに詳しく知りたい方は、この記事の執筆にあたって参考にした以下の資料をご覧ください。

  • ビクトリア・ウッドハル伝記(Bio)
  • 全米女性歴史博物館(National Women's History Museum)

画像|ビクトリア・ウッドハル