北米の歴史

貧困と人種差別に立ち向かった第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソン

アメリカ合衆国の歴史には、続けて「ジョンソン」という姓の大統領が登場した時期があります。しかも二人とも、前任の大統領が暗殺されたことで副大統領から大統領に昇格したという共通点を持っています。

リンカーン暗殺後に就任したアンドリュー・ジョンソンは反動的な政治を行い、各方面での評価は今ひとつでした。一方、ケネディ暗殺後に就任したリンドン・ジョンソンは、内外から非常に高い評価を受けています。

大統領になるまでのリンドン・ジョンソン

貧困と人種差別に立ち向かった第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソン

リンドン・ベインズ・ジョンソンは1908年、テキサス州に生まれました。両親は農場を経営していましたが決して裕福ではなく、ジョンソンは地元のテキサス州立大学に進学しました。

日本では国立・公立大学が尊重される傾向がありますが、アメリカではアイビーリーグをはじめとする名門私立大学が重視され、富裕層は子どもをそうした大学に通わせる傾向があります。ジョンソンのように地方の州立大学出身者が政界の頂点に立つのは、決して容易なことではなかったのです。

大学卒業後はテキサス州で教師を務めましたが、ほどなく辞職し、州議会議員として政治の道へ進みます。その後、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策に関わるなかで民主党内的な名声を築き、やがて大統領候補として名前が挙がるようになりました。

1960年の大統領選挙では、当初民主党の大統領候補として期待されていたジョンソンでしたが、最終的にはジョン・F・ケネディが候補となり、ジョンソンは副大統領に回ることになります。

ところが1963年、ケネディが暗殺されたことで、ジョンソンは第36代アメリカ合衆国大統領への就任を余儀なくされます。

第36代アメリカ合衆国大統領として

貧困と人種差別に立ち向かった第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソン

ジョンソンの政策は基本的にケネディの路線を受け継ぐものでした。「偉大なる社会(Great Society)」というスローガンを掲げて黒人差別問題における公民権運動を支持し、実際に「公民権法」を成立させました。

こうした実績を背景に、次の大統領選挙でも圧倒的な支持を得て再選を果たします。国内では貧困の克服や教育問題などで成果を挙げた一方、対外的にはベトナム戦争を泥沼化させ、勝ち目のない戦争に国民は疲弊していきました。ジョンソン自身も再出馬を断念し、大統領としてのキャリアを閉じることになります。

また在任期間中は、公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師や、前大統領ケネディの弟ロバート・ケネディが相次いで暗殺されるという、激動の時代でもありました。

リンドン・ジョンソンは大統領退任後の1973年に死去しました。この年はベトナム戦争が終結した年ですが、ジョンソンはその瞬間を目にすることはできませんでした。実際の和平協定の調印は、彼の死からわずか5日後のことだったのです。

私見によるリンドン・ジョンソン評価

内政面に限って言えば、リンドン・ジョンソンは歴代トップ5に入る大統領だと言えます。

  • 高齢者の医療費を支援するメディケア
  • 低所得者の食費を支援するフードスタンプ
  • 低所得家庭の幼児の教育を支援するヘッドスタート

公民権法の制定に加えて貧困層への支援にも力を注ぎ、社会保障政策に特に尽力した大統領でした。

その一方で、泥沼化したベトナム戦争を本格化させた大統領であり、外交面での成果はほかに見当たりません。

ただし、ベトナム戦争の発端はアイゼンハワー時代にすでに開かれており、ケネディ政権の時点で後戻りできない状況にあったことも事実です。ジョンソン一人だけを責めるのは、やや不公平であるように思われます。

総合的に判断すれば、長くアメリカ史に黒い影を落としてきた人種問題に突破口を開き、貧困対策を含む社会政策に積極的に取り組んだ事実を踏まえると、リンドン・ジョンソンは非常に優れたアメリカ大統領であったと言えるでしょう。