大統領就任前のケネディ
ケネディ家は19世紀半ばのアイルランド大飢饉を機にアメリカへ渡った比較的新しい移民一家です。建国以来、アメリカの支配層はWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)が独占してきました。アイルランド系カトリックのケネディ家は、その伝統的なエリート層とは一線を画す存在でした。
父ジョセフ・P・ケネディは禁酒法廃止に乗じてルーズベルト家と組み、ウィスキーとジンの輸入で巨万の富を築いた実業家です。駐英大使を務め、民主党の裏で多額の資金提供を行う「影の実力者」でもありました。フランクリン・ルーズベルトの当選に貢献し、共産主義者狩り(赤狩り)で知られる共和党のマッカーシー議員とも親交を持つなど、政商としての側面が強かった人物です。
私生活も派手で、女優グロリア・スワンソンとの不倫が噂されるなど、映画・酒類・金融で得た資産を背景に自由奔放に振る舞いました。しかし次第に名誉への渇望を募らせ、我が子に厳しい教育を施し「大統領にしろ」と命じるようになります。実際、JFKの大統領選は父ジョセフの資金と人脈が支え、息子はある意味で父の「操り人形」だったと言えます。
病弱な次男、コンプレックスを跳ね返す
ジョセフの次男として生まれたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(JFK)は、幼少期から病弱でコンプレックスの塊でした。13歳で寄宿学校に入るも病気とホームシックで帰宅、父の意向で兄ジョセフ・ジュニアと同じ学校に通わされます。「何でもできる兄」への劣等感と病身ゆえの挫折感に苛まれ、イギリスの大学を中退、プリンストン大学も6週間で中退します。
しかし彼は崩れませんでした。父の尽力でハーバード大学に入学し、主席卒業こそ逃したものの、ヒトラーとチェンバレンのミュンヘン会談を分析した卒業論文「ミュンヘンの妥協(Why England Slept)」が高く評価され、優等で卒業を果たします。
PT-109と英雄譚の創出
海軍士官学校を経てソロモン諸島で魚雷艇PT-109の艇長となり、1943年、日本海軍の駆逐艦「天霧」に体当たりされて艇は二つに裂けました。ケネディは船体の破片で負傷しながらも、漂流する部下を引きずって無人島へ泳ぎ切り、数日後に救出されるという劇的な生還を遂げます。この「英雄譚」は父ジョセフのメディア戦略によって大々的に宣伝され、政治への足がかりとなりました。
同年、兄ジョセフ・ジュニアがイギリス上空で戦死し、ケネディ家の期待は一気にJFKへ集中します。
政界入りと『勇気ある人々』の謎
戦後、父のコネで通信社記者を経て29歳で下院議員、その後上院議員へと駆け上がります。慢性的な脊椎疾患で療養中に執筆した『勇気ある人々(Profiles in Courage)』がピューリッツァー賞を受賞しますが、実際には優秀なスタッフ、セオドア・C・ソレンセン(後の大統領顧問)がゴーストライターを務めた疑いが強く、受賞自体にも父の「闇の工作」があったと見られています。
弟ロバートと共にマクレラン委員会(組織犯罪と労働組合の癒着調査)でマフィアの実態を暴き名を上げますが、皮肉にもケネディ家自身がマフィアと繋がりを持っていたとの指摘もあり、後の暗殺の一因になったとも囁かれます。
第35代アメリカ大統領として
「国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい」
1961年、史上最僅差(得票率49.7%対49.5%、差0.12%)でニクソンを破り、史上最年少(43歳)で大統領に就任。この有名な就任演説で「ニュー・フロンティア」を掲げ、アメリカ国民の心を掴みました。
冷戦の最前線で
- ベルリン危機: フルシチョフ書記長とのウィーン会談でベルリン撤退を迫られるも拒否。その結果、ベルリンの壁が建設されました。
- キューバ危機: 1962年、キューバにソ連のミサイル基地建設が発覚。核戦争寸前まで緊張が高まりますが、ケネディの「封鎖」と裏交渉、フルシチョフの譲歩で回避。ホットライン設置と部分的核実験禁止条約締結へ繋がりました。
- ベトナム介入: 東南アジアの共産化を防ぐ名目で軍事顧問団を拡大し、泥沼のベトナム戦争への道を開きました。
- グリーンベレー創設: 特殊部隊を編成し、アジア・アフリカへ派遣。アメリカの覇権を世界に示しました。
国内政策と公民権運動
日本では「ニュー・フロンティア政策」として、人口・生存・教育・住宅・科学宇宙・自動化・余暇の7分野での前進が謳われました。国内最大の功績は、リンカーン以来棚上げされてきた黒人差別問題に正面から取り組み、キング牧師率いる公民権運動を支持したことです。
ダラスの銃声――20世紀最大の謎
1963年11月22日、テキサス州ダラスでパレード中に暗殺されます。犯人とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドも、ジャック・ルビーによって射殺され、真相は闇に葬られました。CIA・FBIの国家機関説、ソ連の陰謀説、軍産複合体の仕業説、マフィアの報復説など、数々の陰謀論が今も渦巻いています。遺族はギリシャの海運王アリストテレス・オナシスの庇護下に置かれ、弟ロバートも1968年に暗殺されるという悲劇が続きます。
ケネディという「神話」の評価
在任わずか2年10ヶ月(史上3番目の短さ)ながら、ケネディはアメリカ人が望む「理想の大統領像」を体現し、実行力は史上最高レベルだったと評されます。同時に、彼はあまりに多くの敵を作りました。真犯人はいまだに特定されておらず、真実が明らかになる日は来るのでしょうか。