北米の歴史

1787年のアフリカ系アメリカ人の歴史年表:何が起こったのか?

1787年:アメリカ史の転換点となった一年

1787年は、アフリカ系アメリカ人の歴史、ひいてはアメリカ合衆国全体の歴史において極めて重要な意味を持つ年となりました。この年、国家の根幹を定める二つの重大な出来事が起こり、その後の奴隷制をめぐる議論の方向性が決定づけられたのです。

フィラデルフィア憲法制定会議と奴隷制問題

1787年5月から9月にかけて、ペンシルベニア州フィラデルフィアで憲法制定会議(コンステチューショナル・コンヴェンション)が開催されました。この会議の結果、アメリカ合衆国憲法が起草されましたが、その内容には奴隷制に関する明確な規定が盛り込まれませんでした。

「自由(Liberty)」を掲げて建国された国家でありながら、起草者たちは奴隷制という矛盾した制度に正面から向き合うことを避けました。この妥協は、当時の南北間の対立を一時的に回避するためのものでしたが、結果として奴隷制の存続を事実上容認することとなり、後の南北戦争へとつながる深い亀裂を残すことになりました。

1787年北西部領土法とオハイオ川の境界線

同じ1787年に制定されたのが「北西部領土法(Northwest Ordinance of 1787)」です。この法律は、オハイオ川を自由州と奴隷州の境界線として明確に定めました。

これにより、オハイオ川以北の北西部領土では新たな奴隷制の拡大が禁止される一方、川以南の地域では奴隷制が継続されることになりました。この境界線の設定は、その後のアメリカにおける「自由」と「奴隷」の勢力圏を分かつ重要な基準となり、新しい州が連邦に加わる際の自由州・奴隷州の均衡問題にも大きな影響を与えました。

まとめ

1787年の出来事は、アフリカ系アメリカ人の運命を左右する二面性を持っていました。一方では、憲法が奴隷制に沈黙したことで抑圧の構造が固定化され、他方では、北西部領土法によって少なくとも一部の地域での奴隷制拡大には歯止めがかけられました。この緊張関係こそが、その後一世紀にわたるアメリカ社会の中心的な争点となっていったのです。