ウィリアム・ライアン・マッケンジーはアメリカで何を組織しようとしたのか?
実は、ウィリアム・ライアン・マッケンジー(William Lyon Mackenzie)がアメリカ合衆国で何かを組織しようとしたという事実はありません。この問いへの答えは「何も組織していない」ということになります。
カナダのジャーナリスト、政治家、そして反乱の指導者
マッケンジーは19世紀前半に活躍したカナダの歴史上の人物です。彼はジャーナリストとして新聞『コロニアル・アドヴォケイト』を発行し、植民地政府の腐敗や特権階級(ファミリー・コンパクトと呼ばれる寡頭支配層)を鋭く批判しました。また政治家としても活動し、後にトロント市の初代市長も務めています。
上カナダ反乱(1837年〜1838年)との関わり
マッケンジーが最もよく知られているのは、1837年から1838年にかけて起こった「上カナダ反乱(Upper Canada Rebellion)」における指導者的役割です。当時の上カナダ(現在のオンタリオ州)では、選挙で選ばれた議会の権限が弱く、実権はイギリス任命の少数エリートが握っていました。マッケンジーはこの政治体制の改革を求め、ついには武力蜂起に踏み切りました。
しかし反乱は失敗に終わり、マッケンジーは一時的にアメリカへ亡命しました。亡命中、彼はナイアガラ川のナヴィ島から「カナダ共和国」の樹立を宣言するなど、アメリカ側からの支援者を巻き込もうとする動きも見せましたが、これらはあくまでカナダの改革を目指す活動であり、アメリカ国内で恒久的な組織を作ろうとしたものではありませんでした。
まとめ
ウィリアム・ライアン・マッケンジーの活動の中心は一貫してカナダ、すなわち上カナダでした。アメリカはあくまでも亡命先であり支援者の供給源であって、彼がアメリカで何かを組織しようとしたわけではないのです。彼の名は、カナダの民主的改革への道を開いた反乱指導者として、今日でも記憶されています。