エイブラハム・リンカーン大統ンカーン大統領がサムター砦への補給を必要と感じたのは、連邦政府の権威を示し、南部諸州の脱退(分離独立)の動きがさらに広がるのを防ぐためでした。当時、アメリカ連合国(南軍)は南部の大部分を既に掌握しており、リンカーンはサムター砦が陥落すれば合衆国の大義にとって重大な打撃になると考えていました。さらに、何も手を打たなければ、他の南部諸州も相次いで連邦から脱退し、アメリカ連合国に加わってしまうことを恐れていたのです。
容易ではなかった補給の決断
サムター砦への補給を決めるのは、決して簡単な判断ではありませんでした。リンカーンは、この決断が戦争につながる可能性が高いことを十分に理解しており、その一歩を踏み出すことには大きな躊躇がありました。それでも彼は、砦の陥落を許せば「弱腰」と見なされ、アメリカ連合国をますます強気にさせるだけだと考え、行動せざるを得ないと結論づけたのです。
サムター砦はサウスカロライナ州チャールストン港に位置する要塞であり、同州は1860年12月に真っ先に連邦からの脱退を宣言した州でした。砦に駐留する北軍将兵は孤立状態にあり、食料や物資の枯渇が迫っていたことも、リンカーンの決断を後押ししました。
「サムター砦遠征」の出発
1861年4月、「サムター砦遠征」と呼ばれる補給作戦が遂行されました。指揮を執ったのは、1860年から同砦の司令官を務めていたロバート・アンダーソン少佐です。遠征隊は、砦へ食料や物資を届けるための艦船群によって編成されていました。
南北戦争の幕開けとなった34時間の砲撃
しかし、アメリカ連合国政府はこの補給作戦を侵略行為と受け止め、南軍部隊に対して北軍艦隊への砲撃を命じました。サムター砦への砲撃は実に34時間に及び、砦はついに降伏を余儀なくされます。こうしてサムター砦の戦いは、その後4年間にわたる南北戦争の幕開けとなったのです。