19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカ合衆国は孤立主義から徐々に脱却し、国際舞台で存在感を急速に高めていきました。地理的にまったく離れた地域で起きた「ボーア戦争」と「アラスカ国境紛争」は、一見すると無関係な出来事に思えますが、実はどちらもこの時代のアメリカ外交の転換点を象徴する出来事であり、そこには共通の糸口があります。その鍵を握ったのが、第26代大統領セオドア・ルーズベルトです。
ボーア戦争への関与
南アフリカで1899年から1902年にかけて戦われた第二次ボーア戦争は、イギリスと、オランダ系移民の子孫であるブール人(アフリカーナー)との間で争われた戦争でした。
アメリカ政府は公式には中立政策を維持していましたが、民間レベルでは多くのアメリカ人志願兵がイギリス軍側に加わり、ブール人と戦いました。彼らの中には、米西戦争(1898年)で「ラフライダーズ(Rough Riders)」として勇名を馳せた部隊に関わった経験を持つ者たちも含まれていました。
当時のセオドア・ルーズベルトは、米西戦争での活躍により国民的英雄となっており、こうした海外の軍事紛争に対するアメリカ世論の関心を高める大きな存在でした。やがて彼が大統領に選出されると、アメリカの国際的なプレゼンスは一段と強まることになります。
アラスカ国境紛争の解決
アラスカとカナダ(当時はイギリス領)の間で国境線をめぐる対立は、ゴールドラッシュによる入植者の増加を背景に、19世紀後半から長年にわたり未解決のまま続いていました。
1903年、ルーズベルト政権下でこの紛争は仲裁裁判所による裁定によって決着しました。アメリカ代表3名、カナダ代表2名、イギリス代表1名の計6名からなる裁判所が設けられましたが、イギリス側委員がアメリカの主張を支持したため、境界線はほぼアメリカに有利な形で確定することになりました。
ルーズベルトは、仲裁が不調に終われば単独での措置も辞さない構えを見せていたといわれています。強硬な姿勢を保ちながらも外交手続きを用いて問題を解決したこの過程は、多国間外交においてアメリカが主導権を発揮できることを内外に示す結果となりました。
二つの出来事が示すもの
ボーア戦争における民間人の参戦と、アラスカ国境紛争における外交的解決。この二つの出来事は、自国の国境外の問題にアメリカが積極的に関与する姿勢を示した点で共通しています。
これは従来のモンロー主義に基づく孤立主義からの明確な転換を意味し、アメリカが世界の主要なプレーヤーとして台頭しつつあったことの表れでした。ルーズベルトの行動は、後のいわゆる「棍棒外交」へとつながる、20世紀アメリカ外交の出発点を画すものであったといえるでしょう。