南北戦争において、ロバート・E・リー将軍が防衛戦略から北への侵攻へと戦略を変更したというのは、実は誤解です。リーは終始一貫して防衛戦略を主張し続け、バージニア州と南部連合の首都リッチモンドの防衛を何よりも優先しました。彼にとって南軍が勝利を掴む最良の道とは、北軍の侵入を撃退し、北部の戦意を少しずつ消耗させていくことにあったのです。
攻勢に出た場面もあるが、それは「侵攻」ではない
もちろん、リーが時に攻勢的な作戦を実行したことは事実です。第二次ブルランの戦い(マナサス)やシャープスバーグの戦い(アンティータム)などがその代表例でしょう。しかし、これらの作戦は北軍の進撃に対処するため、あるいは特定の戦術的目標を達成するために行われたものであり、北部を征服するという大戦略の一環ではありませんでした。
リーが防衛戦略に固執した理由
リーが防衛戦略を貫いた背景には、いくつかの重要な要因があります。
- 戦力差の冷静な分析: 南部連合軍と北軍の相対的な強みと弱みを綿密に評価していました。
- 限られた資源: 南部には北部と比べて圧倒的に少ない人的・物的資源しかなく、消耗戦は避けるべきでした。
- 政治状況への理解: 戦争をめぐる政治力学を深く理解し、時間稼ぎが南部にとって有利に働くと判断していました。
さらにリーは、北への本格的な侵攻が成功するためには、南部連合が容易に動員できる水準をはるかに超える兵力と兵站支援が必要になることを見抜いていました。
まとめ
結論として、リー将軍は防衛戦争から北への侵攻へと戦略を大きく転換したわけではありません。彼は南部連合の領土を守り、北軍の侵入を撃退し、自軍の戦力を温存することに一貫して焦点を当て続けたのです。「リーの北侵」というイメージは、アンティータムやゲティスバーグといった北側での戦闘から生まれた誤解と言えるでしょう。