第一次世界大戦を正式に終結させたヴェルサイユ条約(1919年)ですが、実はアメリカ合衆国はこの条約に調印したものの、批准には至りませんでした。当時のウッドロウ・ウィルソン大統領自身がパリ講和会議に出席し、条約締結に主導的な役割を果たしたにもかかわらず、本国の上院が批准を拒否するという、歴史上でも珍しい事態が起こったのです。
上院が批准を拒否した理由
アメリカ上院がヴェルサイユ条約の批准を拒んだ背景には、主に二つの大きな要因がありました。
1. ドイツへの過酷な条件への反発
ヴェルサイユ条約は、ドイツに対して莫大な賠償金、領土割譲、軍備制限といった非常に厳しい条件を課すものでした。多くの上院議員は、こうした報復的な条件が将来のヨーロッパの不安定化を招くと懸念していました。
2. 国際連盟への参加への反対
条約の中核をなす国際連盟規約にも強い反対意見が上がりました。連盟に加盟すれば、他国間の紛争に巻き込まれる恐れがあるとして、「モンロー主義」を重んじる孤立派の議員たちが猛反対したのです。上院外交委員長ヘンリー・カボット・ロッジ率いる反対派は、ウィルソン大統領の理想主義的な構想に真っ向から対立しました。
批准拒否の経緯
ウィルソン大統領は条約批准を目指して全国遊説を行いましたが、その最中の1919年10月に脳卒中を患い、政治的な求心力を失ってしまいます。上院は1919年11月と1920年3月の採決のいずれでも条約を承認せず、結果としてアメリカはヴェルサイユ条約を批准しないまま、戦後処理の枠組みから離脱することになりました。
1921年の単独講和条約
そのため、アメリカとドイツの間の戦争状態は、1921年7月2日のノックス=ポーター決議によってようやく公式に終了しました。さらに同年8月25日にはベルリン条約(米独平和条約)が調印され、両国はヴェルサイユ条約とは別個の講和条約を締結することとなりました。これによりアメリカは、国際連盟に加盟しない立場を明確にしたうえで、ドイツとの平和関係を回復したのです。
まとめ
アメリカは第一次世界大戦を終わらせたヴェルサイユ条約自体には調印したものの、上院の批准拒否により、法的拘束力を持つ加盟国にはなりませんでした。ドイツとの正式な講和は、1921年の単独講和条約まで持ち越されたのです。この出来事は、アメリカが戦後の「国際協調」路線から「単独行動主義」へと回帰する転換点となり、国際連盟の弱体化の一因になったとも言われています。