17世紀のイングランドにおいて、ジョージ・カルバート卿(初代ボルチモア男爵)は北米に新しい植民地を設立することを強く推進しました。その結果として生まれたのが、1632年に勅許を得たメリーランド植民地です。彼が植民地設立を望んだ背景には、宗教的・経済的・政治的な複数の動機が絡み合っていました。本記事では、その主な理由を詳しく解説します。
1. 宗教的自由の追求
カルバートは敬虔なカトリック教徒でした。当時のイングランドでは国教会(イングランド国教会)が優位を占めており、カトリック教徒は公職からの排除や差別といった宗教的迫害に直面していました。そこで彼は、カトリック教徒が迫害や差別を恐れることなく、自由に信仰を実践できる場所を作りたいと考えたのです。
2. 経済的利益の期待
他の多くの植民者と同様に、カルバートにも明確な経済的動機がありました。新しい植民地を通じた貿易の拡大や、天然資源の開発・活用によって大きな利益が得られると考えていました。実際、メリーランドは後にタバコ栽培を中心としたプランテーション経済で大きく繁栄することになります。
3. 政治的自治の実現
カルバートは、イングランド王室の直接支配から距離を置き、自ら政治権力を行使できる領域を持つことを強く望んでいました。独自の法律や制度を備えた自治的な植民地を築くことで、彼は「領主」として広大な土地を統治する構想を描いていたのです。
4. 個人的な遺産(レガシー)の構築
さらに、カルバートには自身と家族のために永続的な遺産を残したいという思いがありました。成功した植民地を築き上げることは、彼に名誉と社会的評価をもたらし、歴史に名を刻むことにつながると確信していたのです。
まとめ
ジョージ・カルバート卿がアメリカへの植民地設立を目指した理由は、カトリック教徒に対する宗教的迫害からの解放、貿易や資源による経済的利益の追求、王室からの独立性を保った政治的自治の確保、そして個人と家族の名声・遺産の構築という、多面的な動機によるものでした。彼自身は1632年に亡くなりましたが、その事業は息子のセシリウス・カルバート(第2代ボルチモア男爵)によって引き継がれ、メリーランド植民地の建設へと実現していきました。