この質問には、実は重要な誤解が含まれています。1885年当時、CPR(カナダ太平洋鉄道)の建物は存在していませんでした。その理由を、両者のタイムラインから見ていきましょう。
カナダ太平洋鉄道の完成は1885年11月
カナダ太平洋鉄道(Canadian Pacific Railway、通称CPR)は、大陸横断鉄道としてカナダの発展を大きく支えた歴史的な路線です。しかし、その全線開通は1885年11月、ブリティッシュコロンビア州クレイゲラキーで行われた「ラストスパイク(最後の釘)」の打鍵式によって実現しました。これは、ノースウェスト・レジスタンスがすでに終息した後の出来事です。
ノースウェスト・レジスタンスは同年の春に発生
一方、ノースウェスト・レジスタンス(北西抵抗運動)は、1885年の春、おもに3月から5月にかけて、現在のサスカチュワン州北西部で発生しました。メティスの指導者ルイ・リエルらが、連邦政府の土地政策への不満を背景に蜂起した歴史的な出来事です。つまり、抵抗運動のほうが鉄道の完成より数か月早かったのです。
補足:鉄道と抵抗運動の意外な関係
「建物」としては当然ながら役割を果たせませんでしたが、興味深い点もあります。抵抗運動の鎮圧に際しては、まだ完成していなかったCPRの未開通区間を兵士たちが徒歩やそりで突破し、開通済みの区間では列車による部隊輸送が活用されました。この経験は、大陸横断鉄道が持つ軍事的・戦略的な価値を政府や世論に強く印象づける一因となったと言われています。
まとめ
1885年に「CPRの建物」がノースウェスト・レジスタンスで何らかの役割を果たしたという事実はありません。鉄道の完成は同年11月であり、春に起こった抵抗運動よりも後のことだからです。両者の年代を正しく把握することが、この歴史的事件を理解する鍵となります。