激動の時代、私刑(リンチ)の脅威にさらされた人々
19世紀半ばのアメリカは、奴隷制をめぐる対立が頂点に達した時代でした。南北戦争中には、南軍・北軍いずれの兵士によっても私刑(リンチ)が行われ、多くのアフリカ系アメリカ人男性がその犠牲となるか、常に暴力的な報復の脅威にさらされてきました。
本記事では、奴隷制廃止運動から南北戦争にかけての激動期に、私刑の標的となった、あるいはその危険に直面した代表的人物を紹介します。
ジョン・ブラウン(John Brown)
奴隷制廃止を掲げた白人の急進的活動家ジョン・ブラウンは、1859年10月、バージニア州ハーパーズフェリー(現ウェストバージニア州)の連邦武器庫への武装襲撃を指襲撃を指揮しました。襲撃は失敗し、彼はアメリカ海兵隊に逮捕され、同年12月に絞首刑に処せられました。これは国家による処刑ではありましたが、奴隷制廃止運動の殉教者として、後の南北戦争に大きな影響を与える象徴となりました。
フレデリック・ダグラス(Frederick Douglass)
脱走奴隷から世界的な廃止論者へと転身し、南北戦争中はエイブラハム・リンカーン大統領の顧問も務めたのがフレデリック・ダグラスです。奴隷制廃止とアフリカ系アメリカ人の権利を率直に訴え続けたため、奴隷制擁護勢力から私刑の脅迫を受けることもありました。しかし彼自身は難を逃れ、戦後も公民権運動の指導者として活躍し続けました。
ロバート・スマルズ(Robert Smalls)
元奴隷のロバート・スマルズは、1862年に南軍の輸送船を乗っ取り、自由を求めて北軍側へと航海しました。その後、北軍海軍に加わり、アメリカ海軍史上初のアフリカ系アメリカ人艦長となりました。南軍は彼を危険視し、私刑や報復の標的とみなしたため、より安全な場所へ移送される措置が取られました。
オシオラ(Osceola)
セミノール族の指導者オシオラは、部族の土地と自由を守るため、アメリカ政府の強制移住政策に抵抗した人物です。1838年、アメリカ陸軍に捕らえられた末に収監先で亡くなりました。彼の死は、白人による抑圧と先住民の奴隷化への抵抗の象徴として、今日まで語り継がれています。
デイヴィー・クロケット(Davy Crockett)
テネシー州出身の著名な開拓者にして下院議員だったデイヴィー・クロケットは、先住民族の強制移住を定めた「インディアン移住法(1830年)」に反対したことで知られています。1836年のテキサス独立戦争では、メキシコ軍との戦闘で命を落としました。厳密な意味での「リンチ」ではありませんが、先住民の権利を擁護したことによる一種の政治的暗殺と見る向きもあります。
まとめ
南北戦争前後のアメリカでは、奴隷制や人種差別をめぐる緊張の高まりの中で、私刑が政治的・社会的抑圧の手段として横行していました。ジョン・ブラウンの処刑、ダグラスやスマルズといった活動家への脅迫、そして先住民への弾圧に至るまで、これらの出来事は、アメリカ史における正義と自由をめぐる闘いの過酷な実相を今に伝えています。