北米の歴史

南北戦争は1865年に終結。では、なぜリンカーンは戦争中に奴隷解放を決断したのか?

エイブラハム・リンカーンが「奴隷解放宣言」を発布したのは、1863年1月1日のことでした。これは南北戦争が終結する1865年より前、つまり戦争がまさに続いていた時期にあたります。奴隷解放宣言とは、合衆国政府に反旗を翻していた南部連合(アメリカ連合国)諸州にいるすべての奴隷を即時に解放すると宣言した、大統領令のことです。

リンカーンが戦争終結前に奴隷解放を決断した4つの理由

1. 軍事戦略としての意義

北軍が南部連合の領土へ進軍するにつれ、リンカーンは奴隷解放を南軍を弱体化させる戦略的手段と捉えるようになりました。奴隷たちに自由を宣言することで、奴隷労働に大きく依存していた南部経済――特に農業や資源採掘――に打撃を与えようとしたのです。南部連合から労働力を奪うことは、資源生産力と軍事活動の持続能力を制限することにつながりました。

2. 国際的な圧力への対応

当時、イギリスやフランスなどのヨーロッパ列強は、南部連合を正式な政府として承認することを検討していました。もし承認されれば、南部側の士気が高まり、戦争の長期化を招きかねません。奴隷解放宣言は廃止論や人権という理念と一致するものであり、リンカーンはこれによってヨーロッパ諸国による南部支援を思いとどまらせ、合衆国(北軍)の立場を強化できると期待したのです。

3. 国内政治の動向

リンカーンは、自身の党である共和党内部の急進派や廃奴主義者たちから、奴隷制に対してもっと大胆な姿勢を取るよう強い圧力を受けていました。奴隷解放宣言は、奴隷制終結という大義のもとで国家の結束を固め、北部で高まりつつあった反奴隷制の世論に訴えかける手段と見なされていたのです。

4. 道徳的な信念

リンカーン自身、奴隷制の不正義と不道徳性について個人的な確信を抱いていました。当初は奴隷制との正面衝突に慎重だったものの、次第に考えを深め、奴隷解放を道徳的な責務だと考えるようになりました。人間を束縛し続けながら、「自由と平等を掲げる国家」として南北戦争に勝利し、その正統性を主張することはできない――それが彼の信念でした。

奴隷解放宣言の限界と憲法修正第13条

ただし、奴隷解放宣言によって直ちに全米の奴隷が自由になったわけではありません。この宣言が主に対象としたのは南部連合諸州の奴隷であり、彼らの多くは戦争終結後まで奴隷状態にとどまりました。全国規模での奴全国規模での奴隷制の公式な廃止が実現したのは、1865年12月にアメリカ合衆国憲法修正第13条が批准されてからのことです。