アメリカ合衆国の歴史において、奴隷制をめぐる北部州と南部州の見解の相違は、国家を二分する最大の対立点の一つでした。同じ国でありながら、両地域は奴隷制について正反対の立場を取り、その溝はやがて埋めがたい亀裂となっていきます。ここでは、それぞれの地域がどのような主張を行い、どのような活動を展開していたのかを詳しく見ていきましょう。
北部州の立場:奴隷制の縮小と廃止へ
段階的な奴隷制廃止の支持
多くの北部の人々は、奴隷制の段階的な廃止を支持していました。彼らにとって奴隷制の撤廃は、道徳的に正当化できない制度をなくすという良心の問題であると同時に、自由労働に基づく経済体制への移行という現実的な課題でもあったのです。
自由土地運動(Free Soil Movement)
1848年に結成された自由土地党(Free Soil Party)は、奴隷制を既存の奴隷州の範囲内に限定し、西部などの新たな領土への拡大を阻止することを提唱しました。「自由な土地に奴隷制を持ち込むな」というスローガンのもと、この運動は後に共和党の結成にも影響を与えるなど、反奴隷制勢力の拡大に大きな役割を果たしました。
地下鉄道(Underground Railroad)による逃亡奴隷の支援
北部の人々の中には、実際に行動を起こして奴隷制に抵抗する者も多くいました。彼らは「地下鉄道」と呼ばれる秘密の逃走ルートと安全な隠れ家のネットワークを通じて、奴隷とされた人々の脱出を支援しました。この組織的な救援活動により、多くの人々が北部やカナダで自由を手にすることができました。
南部州の立場:奴隷制の維持と擁護
奴隷制擁護の主張
南部州は圧倒的に奴隷制擁護の立場を取っていました。南部の人々は、綿花プランテーション経済を支える奴隷労働こそが南部の繁栄に不可欠であると主張するとともに、奴隷制を「神が定めた制度」であるとまで位置づけ、その正当性を強調しました。
州権(States' Rights)の重視
南部の人々は州権を強く主張し、各州が自らの内部的事項を決定する権利を持つと考えました。そのため、連邦政府には南部諸州における奴隷制に干渉する権限はない、というのが彼らの一貫した主張でした。
連邦法の無効化(Nullification)
サウスカロライナ州など一部の南部州は、さらに踏み込んで、自らが違憲であると判断した連邦法を州が無効化できるという「無効化の理論」を主張しました。この主張は奴隷制に関わる法律にも適用されうるものであり、州と連邦政府の権限をめぐる対立を一層深刻なものにしました。
南北の対立がもたらした結果
奴隷制をめぐる北部と南部の見解の相違は、単なる政策上の意見の違いにとどまらず、道徳・宗教・経済・憲政をめぐる根本的な価値観の衝突でした。この対立は合衆国内の緊張と軋轢を年々高めていき、妥協の余地が尽きた結果、最終的に南北戦争(1861年〜1865年)という国家的危機へと発展していったのです。