サムター要塞の戦いと、その後の南部諸州の連鎖的脱退
1861年4月12日から14日にかけて行われたサムター要塞の戦いは、アメリカ南北戦争の幕開けとなる出来事でした。サウスカロライナ州チャールストン港に位置する連邦軍の要塞に対して南軍が砲撃を開始し、ついに守備隊は降伏。この南軍の勝利は、南北戦争全体の流れを大きく変える転換点となりました。
そしてこの戦いの後、さらに4つの南部州が合衆国から脱退し、アメリカ連合国(南軍)に加わることになったのです。
脱退して南軍に加わった4つの州
- バージニア州(1861年4月17日)
- アーカンソー州(1861年5月6日)
- テネシー州(1861年5月7日)
- ノースカロライナ州(1861年5月20日)
脱退の引き金となったのは「リンカーンの徴兵呼びかけ」
サムター要塞が陥落すると、エイブラハム・リンカーン大統領は反乱鎮圧のため、7万5千人の志願兵の召集を直ちに宣言しました。ところが、この決定こそが、まだ合衆国に留まっていた南部諸州の脱退を決定づけたのです。
これらの州はもともと脱退には慎重な姿勢を見せていましたが、「同じ南部の人々と武器を取って戦うことはできない」という思いが強く、連邦政府への協力を拒否。むしろ南軍側に付く道を選びました。
各州の脱退とその意味
バージニア州 ― 南北戦争最大の激戦地に
建国当初からの重要な州であり、首都ワシントンD.C.のすぐ南に隣接するバージニア州の脱退は、南北戦争において最も重大な意味を持ちました。同州はリッチモンドのトレデガー製鉄所に代表される優れた工業力を持ち、戦争中は南軍の首都機能も担うことになります。また、ロバート・E・リーやストーンウォール・ジャクソンといった歴史に名を刻む名将たちを南軍にもたらしました。以降、同州は数々の激戦の舞台となっていきます。
テネシー州 ― 南軍の「糧倉」
テネシー州は農業生産と鉄道網の両面で、南軍にとって不可欠な存在でした。州民の総意として連合国への加盟が進められましたが、州東部では親連邦派の勢力も強く、州内は分裂状態に陥ります。そのためテネシー州は、終戦まで激しい戦火に見舞われることになりました。
ノースカロライナ州 ― 最後に加盟した州
ノースカロライナ州は11番目、すなわち最後に南軍へ加盟した州です。それでも同州は戦争を通じて約12万5千人もの兵士を南軍に送り出しており、その犠牲の大きさは全南部州の中でも際立っています。
アーカンソー州 ― 西部戦線の要
ミシシッピ川流域に位置するアーカンソー州は、西部戦線における南軍の重要な拠点の一つとなりました。州都リトルロックは1863年に北軍の手に落ちますが、州内での抵抗は戦争末期まで続きました。
まとめ:サムター要塞の戦いがもたらした連鎖
サムター要塞の戦いは、単なる一つの戦闘にとどまらず、態度を決めかねていた南部諸州を行動へ駆り立てる決定打となりました。リンカーン大統領の徴兵呼びかけへの反発という形で、バージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナの4州が相次いで脱退。こうしてアメリカ連合国は11州体制となり、南北戦争は本格的な全国規模の戦争へと拡大していったのです。